平手友梨奈なしでは成り立ちにくいグループとなってしまい、そしてそのために彼女は苦しんで、いきなりライブを休んでしまう。
そのことをスタッフに告げられ、茫然とするメンバーの姿がドキュメント映画では見られる。
映画を見てる私たちでも、平手なしでどうすればいいんだよ、という気持ちになってしまう。
大人たちはライブをどう修正するかという説明を懸命に繰り返しているが、通達されたメンバーと映像を見ている私たちは、その言葉を聞きつつも、ただただ喪失感でいっぱいになってしまう。
「ある意味バックダンサーのつもりだったし、彼女を引き立てるために踊っている」というメンバーとしては、気持ちの処理ができないだろう。
「ぼくはいやだ!」がすべてを変えた
平手友梨奈の気持ちもわかる。
満足なパフォーマンスができない状態でライブに立ってもみんなの迷惑だという判断で、ライブを休むのというのは「表現者」としてはひとつの選択である。
『不協和音』で「ぼくはいやだ!」と叫んでるのだから、いやなときにいやだと叫ばなければ、歌ってる態度そのものがうそになってしまう。彼女に本気で『不協和音』を歌わせた時点で、この事態はやがて招来するのが確定的な事態だったのだ。
『不協和音』の「ぼくはいやだ!」が欅坂のすべてを変えてしまった。
平手友梨奈のいない欅坂ライブは、もっとも大事な中心を欠いた喪失感を伴った舞台となってしまう。
でも平手友梨奈はセンターとはいえ、立ち上げメンバーとしては最年少、どこまでもグループの一員だとおもいたいだろうし、残りのメンバーが何とかしてくれるという信頼もあったはずである。
ただ、告知は突然で(映画で見るかぎり、ライブ当日に今日は平手は来ないと告知されている)、残されたメンバーの当惑は尋常ではない。動揺と不安がヴィヴィッドに伝わってくる。