起訴されて懲役10年の実刑判決を受けたゲイシーだったが、刑務所内で高校教員の資格を取得し、模範囚として約1年半で釈放された。なお収監中に妻のマリリンとは離婚が成立している。
出所後ゲイシーはシカゴの実家へと戻り、資金を貯めて建設会社を立ち上げる。同じ頃に彼は2番目の妻キャロルと結婚し、彼女の連れ子2人と幸せな家庭を築いた。ここでもゲイシーは地元の名士として尊敬され、休みの日にはピエロの仮装で近所の子どもたちを喜ばせていたという。地域の民主党の「顔役」でもあり、カーター大統領夫人と握手している写真も残っている。
しかしすでに彼の凶行は、水面下で着実に始まっていたのだ…。

地下に拘束し、ゆっくりと首を絞める…
「禁欲的な刑期を終えた後に犯行が激化する」というのはたびたび見られる現象だが、模範囚として早期に釈放されたゲイシーも、まったく変わらないどころか、むしろ地元のパーティーで好みの少年を見つけてはオーラルセックスさせることを繰り返すようになっていった。
そして、出所の半年後には、性交目的で少年を自宅へ連れ帰ろうとしたとして、起訴されている(被害者が出廷しなかったため不起訴処分)。この他にも自身が経営する建設会社で働く青年をはじめ、多くの若者と性的関係を持っていた。
そんなゲイシーが最初の殺人を犯したのは、30歳のときだった。被害者は、旅行中にシカゴのバスターミナルで目を付けられた16歳の少年ティモシー・マッコイ。「シカゴを案内してあげる」そう言って彼はティモシーに近付き、自宅に連れ込んで一晩を明かした。
ゲイシーの証言によれば、翌朝目を覚ましたら、ティモシーがナイフを持って寝室の入り口に立っていたという。彼はパニックを起こしてティモシーと殴り合い、とっさにナイフを奪って刺し殺してしまったらしい。ダイニングに入ると2人分の朝食が用意されており、料理中のティモシーがナイフを持ったままゲイシーを起こしに来たとわかった。