科学と経済
1970年代頃から、経済成長にともなう弊害は、一国の政治や経済の体制の違いを超え、世界規模、地球規模で広がると認識されるようになってきた。過重な労働は重篤な、ときには死に至るほどの疲労や疾病を引き起こした。また経済活動のために自然環境を改変したことが、人間の生存の根幹を揺るがし始めた。この頃、経済学の危機が叫ばれ始めたのは偶然ではなかった。人間もまた自然界の一部であり、経済活動も人間の内外に広がる「ネイチャー(自然であり、性質でもある)」を適切に保ちながら進められる必要があることに、ようやく人びとは気づき始めたのだ。
この頃から、経済学の体系は次第に細分化され、全貌をつかみにくくなっていったが、それは他の学問体系でも同じだろう。ただし物理学や化学、数学などの自然科学(いわゆるサイエンス)には一定の方法や手続きがあり、それらを学んだ特定の人びとだけが専門家とされる。専門家集団は研究開発に従事して技術を革新し、人びとの暮らしをゆたかにするとされている。経済学もやはり物質に関わるので、自然科学を意識し、これを範として体系化を進めてきた。
だが、では経済学の「専門性」とはいったいどこに求められるのだろうか。経済学を含む「社会」科学は、どのように「専門的に」社会を分析し、社会に貢献するのか。
古典派経済学の時代には、ニュートン力学が物質世界の普遍法則とされ、イマヌエル・カントの時間・空間の認識哲学がそれを支えていた。古典派経済学もまた、このような同時代の認知パラダイムを前提として、経済も、バランスの取れた状態では自然界のバランスに近づくとした(ただし同時に、自然界とは異なる人間社会の独自の領域として倫理や道徳感情などの世界も想定されていた)。
古典派経済学を否定したマルクスもまた、科学という観点からは典型的に19世紀的な思想家だった。科学に強い信頼をよせ、みずからの社会主義体系を科学的として先行研究と区別した。同時代にはチャールズ・ダーウィンが『種の起源』を著し、生物学や遺伝学のみならず、経済学にも大きな影響を及ぼした。

ところが20世紀の初頭になると論理学・哲学の分野において、その論理・命題の構造や妥当性が根底から問い直された。アインシュタインは相対性理論を提示し、経済学が基盤としていたそれまでの物理学の核心部分から、時間・空間の認識を根本的に覆した。自然科学も絶対的、普遍的ではないことが緻密な論理によって示されたのだ。かくして、以後、常識的な感覚としてさらっと倫理について語るのは、むしろ自然科学者たちとなった。
社会科学はこの事態にどう対峙できるのだろうか。
経済の運営にも自然科学と同じく技術的な側面があることは間違いない。技術的処方によって特定の問題を解決する工学的な側面もある。ジョン・メイナード・ケインズが言ったとおり、「経済学者は歯医者のような存在」であるのがよいのかもしれない。つまり傷んだ部分をその都度、発見し、いま持てる技術と物質によって修繕、改善するのである。
だがしかし、人間も社会も、そのすべてを数値、論理に還元することなどはできないし、計算どおりに動かすことなど不可能だ。さらに加えて、その技術を実際に用いるのもまた同じ人間社会であることも忘れてはならない。一国の技術力を束ねる官僚(テクノクラート)組織は、技術の開発、方向付け、計画から実施に至るまで、ほぼ常に政治的な決定とともにある存在である。すなわち経済学も、不可避的に科学技術がはらむ政治性を考慮に入れざるを得ないのだ。
結局、今なお「主流」とされる自由主義経済学の潮流は、政治とはあたかも無縁のような振りをして、次第に科学に服従してゆき、あげく、もっぱら貨幣という数量的価値の辻褄を合わせようとする計算高く小賢しい優等生に堕してしまった。だがしかし、その同じ時期に、ひとが生きることをもっと野太く掴む経済学を求めて格闘した論者たちもまた、少なからず、そして継続的に存在した。