経済学は、なぜ「人間の幸福」に役立たなくなってしまったのか?

「自由」vs「正義」の経済思想史
中山 智香子 プロフィール

ポランニーを軸にして

そのような、人間の生存という観点から経済を熟考した一人にウィーン生まれのカール・ポランニー(1886〜1964年)がいる。19世紀後半以降、ウィーンが世界都市となり、さまざまな頭脳が結集するなか、自然科学者と社会科学者は密接に交流しながら研究を進めていた。

 

経済学は、「価値」という中心的課題を徐々に手放していったが、ポランニーは自由主義経済学とマルクス主義の両方を学び、社会主義者を自任して、経済と社会、科学のかかわりについて考えた。晩年にはアメリカ大陸にわたり、市場的自由主義経済は「生きること・暮らすこと」を犠牲にして、「右肩上がりの進歩」を推し進めると批判して、経済人類学という学問分野を拓いた。その思想は、人間は資源でも商品でもないという信念、価値観に貫かれている。本書ではかれを軸にして、「自由」と「正義」が相克するひとつの系譜を描いてゆく

もちろん、ここで扱うすべてがポランニーに直接、影響したものであるわけではない。またポランニーの思想が、21世紀の現代世界をすべて見越していたわけでもない。変化のテンポは加速し、特にここ数十年は、おそらくかれが想像もしなかったであろう事態が矢継ぎ早に起きている。さらにいえば、ポランニーは書きぶりがやや仰々しく、またいかにも「善い人」すぎて、人間中心主義的なヒューマニズムに搦めとられてしまっているところもある。それでもなお、人間の生死の根本を凝視したかれの思考の軌跡と展開をたどることは重要である。

ポランニーおよび、かれが影響を受け、また与えた人びとの思想を繙(ひもと)くとき、経済学、あるいは社会科学全般における専門性とは、究極的には、「人間や社会とはなにか」をつきつめて考えることにあるとわかる。ものや技術に関わる人びとの心を支えているのも、それが社会で活かされる姿を想像するという、人としての力である。生きていく力、人間を見つめ、見抜く力には、あえていうなら一つの専門性として(それを持つ人はたいてい謙虚であり、専門性などといえば一蹴されそうだが)、もっと敬意が払われてよいのではないか。

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「ヴァリューフリー value-free」という幻想

つまるところ本書の目的は何か。それは中立という幻想を捨てて一つの立場をとることへの、ささやかな道案内である。

経済学とはそもそも単純に、人間が「食べ、生きていくこと」を支える実直な学問であったはずだ。ところがいつしかそれが、科学の威を借る「ヴァリューフリー」の学問へと変質してしまった。この「フリー」というのが曲者である。ヴァリューフリーとは本来は価値の自由さ、つまりみずからはある価値を信じて一つの立場をとるが、他の価値観、他の立場もあると認めるところに、「自由」さがあるという意味であった。ところがアルコールフリーがノンアルコールを意味するように、ヴァリューフリーが価値を選ばないこと(没価値)と勘違いされてきた歴史と、現在がある

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