2020.11.12
# 不動産

飲み屋客は知らない…新宿・思い出横丁が直面している「3つの苦悩」

【ルポ】昭和の横丁探訪記
フリート 横田 プロフィール

統制品だった肉類はヤミ市であっても入手困難だったが、モツは統制外。横丁内には戦前から食肉処理場の関係者と懇意な店主がいて、昭和22年頃、豚モツを仕入れて串を打って焼き、ヤキトリと称して売りだしたことがあった。あとを追うようにモツ焼き(ヤキトリ)の店ができ、今に続く横丁の風景、そしてあの路地にたゆたうたまらない香りが生まれたのだ。さて、本筋に戻る。

デカい鍋の煮込みもたまらない。この姿を見るだけで一杯やれそう
 

ヤミ市から飲み屋横丁へ

こうしてテキヤたちのヤミ市は繁栄し、戦争で傷ついた人々に衣食を供給し、職を斡旋したが……暗転する。

舞台となった土地はいかに焼け跡であろうと、言うまでもなく持ち主がいた。多くのヤミ市は不法占拠だったのだ。当初、行政や警察は市民の暮らしが立つように黙認……どころかバックアップさえしたが、昭和30年代に差し掛かり、世が落ち着きだすと様子が変わる。各地のヤミ市の地面は、ときに係争も経て明け渡され、また戦災復興の区画整理事業が始まり、バラックや露店は駅前から姿を消していった。

テキヤも急速に力を失っていった。新宿駅西口の場合も同じ。丸ノ内線の延伸計画で営団から安田組長が訴えられるなど、駅前再開発の動きが活発化すると勢力を落としていき、その後、テキヤたちは土地を去った。

ところが思い出横丁は残った。

ひとつのキッカケがある。昭和28年頃のこと。テキヤの影が薄くなったのとは反対に、再開発の気運をつかんだ地上げ屋の影が路地に現れるようになった。店主たちが商売している土地を地主(テキヤではなく元々の底地を持つ地主)から密かに買い取ろうと動きだしたのだった。

このとき、暗躍を聞きつけた店主たちは結束して組合を組織、交渉の末に地主から辛くも土地を買い取ることに成功する。かくして横丁はテキヤ支配からも不法占拠状態も解消、取り壊される心配のない堂々たる飲み屋横丁となった。

このことがのちのち、半世紀以上に渡って横丁を守った一方、身じろぎもさせないことにもつながっていく。

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