労働者の党であることを捨てる
なぜ、バイデンは「歴史的敗北」を喫したのか。1980年代以来、民主党は労働者階級を見捨て、むしろエリートの党として「企業政党(コーポレート・パーティ)」化していった。バイデンはその流れの中心にいた1人だからだ。
81年のレーガン政権の誕生は、民主党が存亡の危機を感じるほどの歴史的異変であった。今日でいうラストベルト一帯の白人労働者らが雪崩を打つようにして共和党の支持に回った。不況、「強いアメリカ」へのあこがれ、妊娠中絶問題などさまざまな理由があった。
これにより大恐慌期にルーズベルト大統領が形成した民主党の選挙支持母体である労働者、マイノリティ、南部保守層、知識層からなる「ニューディール連合」が崩壊した。レーガンが労働者を切り崩す以前に、ニクソン共和党政権の「南部戦略」による南部保守層切り崩しが始まっていたから、民主党はマイノリティと知識層だけの党になりそうだった。
その80年代に党再建を目指して登場したのが「ニューデモクラット」と呼ばれた若手で、中心にいたのがビル・クリントン(当時はアーカンソー州知事、のちに大統領)だ。
彼らは政策においても資金源・票田においても企業との結託を目指した。従来型産業は企業政党である共和党に抑えられていたから、狙ったのは新産業、つまりハイテクさらに環境産業などの分野であった。
アル・ゴア(当時は上院議員、のち副大統領)も中心メンバーで、彼らはハイテク・デモクラットとも呼ばれた。今日にいたるシリコンバレーのIT巨大企業、環境産業と民主党の強い関係の始まりだ。要は金ヅルであり、癒着といってもいい。そうした動きにバイデン(当時は上院議員)も加わっていった。
ニューデモクラットの代表としてクリントン・ゴアの政権が誕生すると(1993年)、民主党は「第3の道」と称して労働者の党であることを止め、実態は共和党と変わらない先端企業優遇の政策、すなわち「小さな政府」と規制緩和、市場重視、福祉切り捨ての政党になった。
そうした中で、議会において共和党とのさまざまな妥協を図る交渉役として手腕を認められたのがバイデンだ。