2020.11.27
# 科学史 # 創薬

今こそ冷静に考えるべき、ワクチンと副作用の切っても切れない歴史

反ワクチン運動とはなんだったのか
大脇 幸志郎 プロフィール

ジェンナーは種痘を発明していない

ワクチンは実績があるので信頼されている。このわかりやすさに対して、ワクチンを嫌う考えのほうははるかに複雑で厄介な歴史を背景としている。

助走として、ワクチンについてのありがちな誤解、それもワクチンを支持する意見の中でしばしば現れるものを指摘しておく。

現代のワクチンの進歩を代表する例としてしばしば挙げられるのが、天然痘に対する種痘の効果だ。第一の功労者と思われているのが、18世紀イギリスの医師のエドワード・ジェンナーだ。最近の本でも大阪大学大学院医学系研究科教授の仲野徹が当たり前のようにこう言っている。 

日本に種痘が入ってきたのは江戸時代末期、1849年のことです。鎖国をしていたこともあって、ジェンナーが種痘を開発してから約半世紀も後のことでした。(河出書房新社編集部編『思想としての〈新型コロナウイルス禍〉』所収のインタビュー「オオカミが来た!」、電子版)

ところが、同じ本をめくっていくと、広島大学教授で生物学研究者の長沼毅がまったく違うことを書いている。

世界初の予防接種の記述が15世紀の中国にある。これはヒトの天然痘ウイルスをヒトに感染させる人痘法でリスクをともなった。1796年、英国の医師エドワード・ジェンナーが牛痘(ウシの天然痘)の膿を接種する牛痘法を成功させ、これが種痘として普及した。(…)ただし、ジェンナーが実際に使ったワクチニアウイルスは”真の牛痘ウイルス”ではなく、たまたま牛に感染していた馬痘ウイルスだった可能性が高い。(同書所収「コロナウイルスで変わる世界」)

こういうわけで、ジェンナーは種痘を発明していない。人痘法を牛痘法に改良して副作用を減らしたのがジェンナーの業績だ。しかも、ジェンナー以下多くの人が牛痘法だと信じていたものは、実はおそらく馬痘法だった。

人痘法ははるか昔からあったから、ジェンナーより前に日本にも伝わっていた。秋月藩(いまの福岡県)で人痘法を行っていた医師の緒方春朔は、著書『種痘必順弁』にこう書いている(引用原文は返り点つきの漢文だが、引用者の責任で書き下し、一部の用字を置き換えた)

我が藩寛政己酉(引用者注:1789年)の冬痘行る、始て種痘を試す者六七児、皆其れまさに響の如く其の痘もまた、稀少にして順候なり、以来癸丑(引用者注:1793年)の歳に至り種痘者三百余家、四百余児を得る、一も稠密蚕種の患を見ず

『種痘必順弁』(京都大学附属図書館所蔵)

ウィリアム・マクニール『疫病と世界史』によれば、種痘はインド・アラビア・北アフリカ・トルコなどで長く行われていたところ、18世紀はじめにコンスタンチノープルに来ていたイギリス大使夫人からイギリス王室に、やがてヨーロッパ全体に広まったという。

そこでやっとジェンナーの発明の土台ができたことになる。ジェンナーは、すでに種痘が行われている光景を見ながら牛痘法を考えたのだ。

誰がはじめてか、という歴史論争はしばしば些末な豆知識と定義の争いに終わる。しかし「ジェンナーが種痘を発明した」という勘違いには数百年の幅があるうえに、ワクチン開発の重要な側面が見過ごされている。

ワクチン開発とはいつも副作用とともにあったのだ。

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