実験場としての敗戦国・日本
ワクチン開発はしばしば冒険だった。それでも高い期待があったので強行された。戦中・戦後の混乱により感染症が蔓延した日本も、ワクチンを熱狂的に支持することになった。
GHQの影響下で1948年に制定された予防接種法は、12の対象疾病について強制予防接種制度を導入している。対象疾病の中には、当時有効なワクチンが存在しないどころか、作られる見通しすらなかった猩紅熱も含まれていた。
同年のうちに、京都市でジフテリアの予防接種を受けた子供68人が死亡する事件が起こった。原因はワクチンの不良品が検定をすり抜けたことだった。訴訟が起こされ、検定制度が強化されたが、強制予防接種の枠組みは変わらなかった。
1970年代に種痘の副作用が問題視され、ポリオ、百日咳、MMRワクチンの問題があり、「副作用禍」の責任を行政に求める論調が現れた。いくつもの訴訟が争われた。1994年の予防接種法改正により、国はワクチンをおすすめするが強制はしないという立場に変わった。
打たない自由はある。そのかわり、なにかあるかもしれないと了解したうえで打て。なにかあったら救済するから国に文句を言うな。そういうことだ。
そこで素朴な疑問が浮かぶ。打たないことは自由だと、法律で決まっているのに、なぜ「よくないこと」のように言われるのだろうか?
この論点に答える責任は、この記事にはないと思うが、「よくないこと」だと言いたい人にはあるだろう。言うまでもなく「医学は法律に優先する」といった主張は論外だ。
ここでは、日本における予防接種制度がそこまで後退を強いられるほど、ワクチンの歴史は副作用の歴史であり、実践は行きつ戻りつを繰り返しているとまとめておく。(つづく)
〔この記事の後編は明日、11月28日に公開予定です〕