B.T.K.キラーとの接触
2014年3月 、筆者は「B.T.K.キラー」と呼ばれる連続殺人犯デニス・レイダーに会うためにアメリカを訪れた。しかし不運にも大雪に見舞われ、彼が収監されているカンザス州まで向かう飛行機が欠航となってしまい、面会はキャンセルせざるを得なかった。
帰国後、刑務所のデニス本人から日本の私の自宅に7~8回連絡があり、電話で話した。最後の電話の時に、いつも日常生活の上辺しか話さず犯行の核心に触れない彼に対して、筆者はしびれを切らしていた。そのような態度を電話口で見抜かれたのか、以来彼からの連絡は途絶えてしまっている。


1974年から1991年までにカンザス州ウィチタで10名を殺害し、街中を恐怖に陥れたデニス・レイダー。「縛って(Bind)、拷問して(Torture)、殺す(Kill)」、通称「B.T.K.キラー」というニックネームで自らテレビ局や警察に手紙を送り付けた「劇場型殺人犯」である一方で、最後の犯行から14年間も逃げ続けた知能犯でもある。果たして、B.T.K.キラーはどのようにして誕生したのだろうか。
幼少期の「特異な経験」
1945年、カンザス州でデニスは4人兄弟の長男として生まれた。彼の母親は攻撃的な気性であったうえ、子育てにあまり興味がなかったという。デニスは幼少期に母親とのスキンシップを経験しておらず、自分は母から嫌われていると思っていた。
愛情が希薄だった幼少期、デニスにとって印象的な出来事が起きた。母親がソファのクッションの隙間に手を挟まれ、内部のバネに指が引っかかって抜けなくなり、ほとんどコミュニケーションのなかったデニスに助けを求めたのだ。