B.T.K.キラーがここまで絞殺にこだわったのは、「直接息の根を止める」感触に固執していたからだと考えられる。また彼は、殺害後に被害者の遺体に好みの服を着せ、メイクを施して縛り上げ、まるで「着せ替え人形」のように扱ったという。身動きが取れなくなった被害者を利用して自分の妄想をそのまま実現する「究極のSM行為」だと言えるだろう。
最初の殺害後、デニスは近所の図書館にあった専門書ページの間に、犯行の詳細を記したメモを残した。また1978年には匿名でテレビ局に手紙を送り、「7人を殺害した連続殺人犯は自分だ」と告白している。おそらく「社会からの注目を浴びたい」という欲望を我慢できなかったのではないだろうか。
この時に使用したニックネームが「B.T.K.」であり、連続して起こった殺人事件が同一犯によるものだと知ったウィチタ市民は恐怖に陥ったと言われる。警察は威信をかけて捜査したものの、デニスは証拠を残さなかったため犯人逮捕には至らなかった。

その後しばらくデニスは事件を起こさなかったものの、1985年に再び女性を素手で扼殺している。それから1991年までに2人の女性をストッキングやパンストで絞殺した。
懸命な捜査も空しく、2004年ごろには、警察もこの事件を「迷宮入り事件」として扱うようになる。ところがその頃から、デニスは再び警察やテレビ局にメッセージを送り始めた。現場から持ち去られた被害者の免許証を同封して犯人だと証明したうえで、事件の詳細を語ったのだ。おそらくデニスは、かつて社会から注目されたときの快感が忘れられなかったのだろう。