戦場のフェイク・ニュースが歴史学を変えた

マルク・ブロックとアナール学派の誕生

「その噂はあまりに聞き心地がよく……」

1918年11月11日、コンピエーニュの森で休戦協定が結ばれ、西部戦線における戦いは終結した。

この間、『半月手帖』の詩人シャルル・ペギーを筆頭に、無数の若き才能の前途が永遠に奪われた。出征した800余名に及ぶ高等師範学校卒業生のうち、239名が帰らぬ人となった。

4年間に及ぶ戦闘から奇跡的に生還したブロックは、新設されたストラスブール大学に准教授として着任する。

歴史家としての学究を再開したブロックであったが、戦場における経験が彼の脳裏を離れることはなかった。1921年、ブロックはアンリ・ベールの主宰する学術誌『歴史学総合評論』に「戦争の虚報に関する一歴史家の省察」と題された短い論考を発表する。

この論文の主題は、戦場で兵士の間に広まった事実に反する噂だ。

「フェイク・ニュース! それは4年以上もの間、あらゆる国のあらゆる場所で、前線でも後方でも、生まれては群がった。それは時に人の心を悩ませ、興奮させ、圧倒した」――ブロックは熱のこもった筆致で語る。

当時兵士の間では、「ロシアの援軍がスコットランドとマルセイユに上陸した」「占領地の住民が物陰から襲ってくる」といったデマが広く流布していた。ブロック自身も生々しい回想を残している。

「戦場で虚報が肥大した理由は、ほとんどの場合、主張するまでもないほど明確である。感情と疲労がいかに批判感覚を麻痺させるかは言葉では言い尽くせない。退却戦の最後の日々、上官の一人に『ロシア軍がベルリンを爆撃している』と言われたとき、私はその魅惑的なイメージを否定する気力がなかったことを覚えている。なるほど、もしもその非現実さを漠然と感じ、正しく省察していたなら否定していただろう。しかしながら、疲れた身体と憔悴した心にとって、その噂はあまりに聞き心地がよく、私はそれを拒むだけの強さを持つことができなかった。」