戦場のフェイク・ニュースが歴史学を変えた

マルク・ブロックとアナール学派の誕生
長野 壮一 プロフィール

フェイク・ニュースが拡散する社会的条件

第一次世界大戦の政治文化を研究する歴史家クリストフ・プロシャソンによれば、「大戦において、事実の不確かさの大部分は、それを推定したり説明することができないことに起因していた」。というのも、前線には新聞が存在せず、郵便事情も不確実だった。不定期にしか届かない手紙は、しばしば検閲されていた。

当時、ある風刺作家は「塹壕の中では、印刷されたもの以外はすべて真実だろうという意見が広まっていた」と諧謔的に述べた。近年盛んに「ポスト・トゥルース」として喧伝される、不正確な情報が集団心理に影響する状況は、決して今に始まった現象ではない。

ブロックの言葉を借りれば、「どんな型破りの実験者も夢想さえしなかったような大胆なやり方で、検閲は過ぎ去った幾世紀もの年月を無視して、前線の兵士を新聞や書物が存在する以前の古い情報手段や精神状態へと連れ戻した」のである。

「虚報の誕生は常に既存の集合的表象に起因している」とブロックは述べる。単なる一個人の誤った思い込みが噂として広く拡散するためには、ある特定の社会的条件が必要だというのだ。

彼自身が体験した「ブレーメン」の噂に関しても、デマが広まる素地はあった。

そもそもドイツ軍がフランスにスパイ網を張り巡らせているという思い込みは、戦前から広く信じられていた。加えて、ドイツ軍による緒戦の連勝の理由を説明したいという願望が、都合のいい噂を広める要因となったのだ。

人はなぜデマを信じ込んでしまうのか。なぜ群衆は噂に惑わされるのか。ブロックはこうした問題に歴史学を通じて解答を導き出そうと考えた。噂を伝達せしめる要因となった社会的条件を特定するには、社会構造の分析に長けた歴史学の手法が適している。ブロックにはそう思われたのだ。

当時、ストラスブール大学の同僚であるモリス・アルブヴァクスらの手により、集合的意識を対象とした社会心理学の研究が勃興しつつあった。ブロックはそうした隣接諸科学の知見を参照しながら、独自の「心性史」の構想を練り上げてゆく。

「このような題材における過去の研究は、現在の観察に基づいていなければならない」――ブロックの問題意識は確信へと変わっていた。