戦場のフェイク・ニュースが歴史学を変えた

マルク・ブロックとアナール学派の誕生

心性史家ブロックの誕生

第一次世界大戦の終結から5年、そして戦場の虚報に関する論文から3年後、ブロックは初の本格的な著書『王の奇跡』(1924) を刊行する。

本書の主題は「国王が患部に触れると腫れ物が治る」という民間伝承だ。「王の手あて」(ロイヤル・タッチ)と呼ばれるこの風習は、後期中世から近世にかけて英仏を中心に根付いていたとされている。

もちろん実際には国王にそのような治癒能力はないのだが、中には病気が治らないのは自らの信心が足りないためと思い込んだのか、何度も「王の手あて」を受けに行く患者もいた。

国王の側もそうした民衆の心性を自らの権威付けに利用し、絶対王政期になると「王の手あて」は国家の公式儀礼にまで発展した。

英国王チャールズ2世による「王の手あて」(Photo by Wikimedia Commons)

なるほど、こうしたメンタリティは、科学の発達した現代を生きる我々の目には滑稽に映るかもしれない。だが、戦場のデマを身をもって経験したブロックにとっては十分に理解できる現象だった。

もちろん、賢明な歴史家は過去と現在の単純なアナロジーを慎重に避けている。しかしながら、「なぜ過去の人々は迷信を信仰したのか」という問いと、「なぜ現代の戦場でデマが拡散するのか」という問いは、ブロックの中では同じ次元に位置していた。

歴史家が戦場において看破した通り、誤った思い込みが広く拡散するためには、特定の社会的条件が必要だ。

ブロックによれば、「王の手あて」の迷信を生んだ社会的条件とは、国王が即位の際に大司教から神聖な油の塗布を受ける「塗油の儀礼」だという。

本書においてブロックは、この儀礼が中近世の国家権力によって公式行事として組織されることによって、「国王は神聖な存在である」という通念が人工的に創りあげられてゆく過程を、豊富な史料に基づき丹念に検証している。

かくして権威を高めた王権は、「聖なる存在には癒しの力が具わっている」という庶民の素朴な信仰を利用することで、「国王が患部に触れると腫れ物が治る」というありもしない迷信を創造するに至った――ブロックはそのように結論付ける。

ブロックがその絶筆『歴史のための弁明』(1949) において表明した「現在を通して過去を理解する」という信念は、このとき確立された。

後にブロックの代表作『フランス農村史の基本性格』(1931) において顕著に見られることとなる、「田畑の形状がフランスの北と南でなぜこのように異なっているのか」という現在の疑問から出発し、歴史を逆なでに読むことでこの問題を解決しようとする「遡行的方法」の萌芽は、既にこの時期に見られたと言ってよい。

それはブロックが盟友リュシアン・フェーヴルとともに『アナール』を創刊する5年前のことだった。