韓国エンタメ界で初めてセックスアピールした男

J.Y. Parkが芸能界入りしたのは、“韓国の慶応”と呼ばれる延世大学在学中の1992年。「パク・ジニョンと新世代」として歌手デビューするが、その時は成功せず、有名な作曲家のキム・ヒョンソクに師事したのち、1994年に「Don't Leave Me」という曲で再デビューを果たす。

すると、当時としては新鮮だったブラック・ミュージックのフィーリングがある楽曲とダンス、そして「ゴリラ」と称された彼のビジュアルと腰を振るセクシーな振付のインパクトが合わさって、一躍人気者に。当時、『私の頭の中の消しゴム』(2004年)で人気俳優となっていたチョン・ウソン出演のCMにも曲が使われ、同曲が収録されたファーストアルバム「Blue City」は47万枚を売るヒットとなった。

2019年に音楽授賞式「MAMA」のステージで、「Don't Leave Me」をMAMAMOOのHwa Sa(ファサ)とコラボ

「Don't Leave Me」のダンスは、韓国で初めて男性のセクシーさをアピールした振付と言われており、今以上に性的なものに対する規制が厳しかった当時の韓国エンタメ業界においては、「男性のセックスアピール」というものを前面に打ち出した初めてのアーティストだと言える。2013年のコンサート「悪いパーティー」は日本でも開催されたが、韓国では19歳未満は入場できない19禁コンサート認定だった。

 

また、一部のK-POPファンの間では「嵐の(デビュー時の)衣装と同じ」として知られているのが、J.Y. Parkのデビュー時の衣装だ。カラフルな下着が丸見えのビニールパンツ姿は、ピアスや染髪ですら規制されていた当時の韓国のテレビには衝撃的だった。この衣装は、そんな韓国テレビ界の基準に疑問を感じ、「衣装はきちんと着ている。ただ透けているだけ」という反発精神から着用したものだったという。

J.Y. Parkのセクシーな表現は、「性的であること」自体が反抗的なアティチュードと捉えられた時代性と、彼の反骨心、そしてやりたかったブラック・ミュージックの特性が合わさり生まれた部分もあるのかもしれない。