“韓流”に迎合しない姿勢

プロデューサーとして大きな功績を残しているJ.Y. Parkだが、韓国の“国威掲揚の象徴としての韓流”に迎合せず、バッシングを受けた過去がある。その時に彼が語った言葉で印象的なものを、2007年の朝鮮日報の記事から紹介したい。

「『韓国的なものが世界的なもの』という言葉が、文化の多様性という側面で重要な意味を持つ言葉であることをよく知っている。 しかし、大衆文化に従事するすべての人々にこの言葉を強要しすぎると、それが足かせになる可能性もある。 必ずしも韓国的なものではなくても、自分の好きなことを頑張れば世界的なものになれると思う

「私が韓国人であるというルーツは揺るがない。ただ私は“韓国文化を知らせること”よりは“隣国と親しくなること”にもっと寄与していると思う

昨年、新曲をアトランタでレコーディングしていたJ.Y. Park〔PHOTO〕J.Y. Parkの公式Twiterより
 

J.Y. Parkのグローバルな視野は、小学校1年生の時に家族の都合で2年間NYに住んだ経験によるところも大きいのかもしれない。7歳からブラック・ミュージックとダンスに傾倒しはじめたという彼。雑誌「日経エンタテイメント」(2011年10月号)における小室哲哉との対談では、日本文化がまだ解放されていなかった中学生の頃、海賊盤のカセットや日本のラジオ電波を探して必死で日本のポップスを聴いていたと語っていた。その当時聴いたKUWATA BANDの「スキップ・ビート」をきっかけに、「アジア人でもブラック・ミュージックをパフォーマンスすることができるんだ」と目覚めたというエピソードは有名だ。

ネットの普及により文化の垣根が低くなったことで、エンタメが政治的な啓蒙やプロパガンダとしても利用されやすくなっているいま、「国家や民族のためにではなく、自分が好きで良いと思う音楽をやりたい」と主張することは、必ずしも簡単なことではないだろう。それでも自分は愛国者とは言えないと昔から堂々と語っているJ.Y. Park。彼のアーティストとしての反骨精神はブレることがない。