「(一審で下された判決が)極刑でも控訴しない」
「すべてを終わらせたい」
このように白石被告はすべてを諦めて、死刑を受け入れているような素振りを見せたという。ほとんどの連続殺人犯はこうした潔い態度を見せない。彼らの多くは司法取引により何とかして死刑を逃れようとするし、たとえ弁護を引き受ける人間がいなくなったとしても、自ら弁護人を務めて法廷で徹底的に闘う。
「被害者たちは自ら死を望み、白石被告に殺されることを承諾していたかどうか」という点について、公判では検察側と弁護側が議論を戦わせた。白石被告はTwitter上で出会った自殺願望を抱く人々を殺害していたため、弁護側は「被害者も同意したうえでの殺人だった」と主張し減刑を狙った。
しかし白石被告本人は、死刑につながることを理解しながらも「被害者たちの承諾はなかった」とする検察側の起訴事実をすべて認めていて、「(弁護士と)方針が合わず、根に持っています」とも話している。
これらの白石被告の法廷での言動は、彼の「生への執着の乏しさ」を示唆するものと考えられ、大量殺人的な特徴と言える。それゆえ、座間事件は2タイプのバイブリッドではないかと分析している。
「猟奇性の根源」はどこにあるのか
連続殺人犯と大量殺人犯、同じ凄惨な殺人事件であるにもかかわらず、なぜそれぞれ異なる特徴があるのだろうか。その理由として、専門的には、幼少期の家庭環境が影響しているのではないかと考えられる。