小学生の「わり算」の事例から
小学校3年生の算数、「わり算」を初めて学ぶ単元でのこと。
――こんなことがありました。
その子は、算数の
なぜか? 算数の時間が、思い思いに問題を解ける時間だったからです。
もう少し詳しく説明しましょう。
このとき、単元全11時の10時目は、教科書例題
「69まいのおり紙を3人で同じ数ずつ分けます。1人分は何まいになるでしょうか」
がアレンジされ、
69(まい)が「□□」、3(人)が「□」
になり、問題づくりの「条件」として
「おり紙のまい数は、『九九(81)より大きい』」
が設定されていました。
ここで働かせる「数学的な見方・考え方」が、「位分け・乗法九九の二回適用」だからです。この条件がないと、「24÷3」などもOKになってしまうので、前時までの「乗法九九・その一回適用」で解決できてしまいます。
子どもたちは、まず、自分で問題を作ります。一人一台のタブレット端末で全員の問題を共有しますから、自分で作れなかった場合は、他の人の問題がヒントになります。
次は、一人でやるのか、協力してやるのかの選択。もちろん、途中で変えても構いません。じゃあ、場所はどうしよう。誰かの机? それとも? 与えられた時間はおよそ30分で、こんなふうに、それぞれが、自分で自分のことを決めながら、それぞれに学びます。

ちなみに、先ほどの子は、一目散に黒板の前に飛び出して、同じような問題を作った子たちと一緒に考え始めました。気が付くとそこには大きな協同の輪ができていて、中心ではその子が黒板を使って、一生懸命、計算の仕方を説明しています。苦しみながらも、みんなの支えがあるから楽しそう。
その子の言葉は、大人からすると、とても「拙い」ものです。でも、なんだか周りの子どもたちは理解している。先生の言葉は算数的にも論理的にも「整った」ものですが、だからといって子どもたちに分かりやすいかと言えば、必ずしもそうではない。
そうしてこのグループは、みんなでなんとか納得できる計算の仕方の説明、「分けて、九九を使って・・・」にたどり着きました。他の子やグループも、同じような感じです。
「勝手」に学び続ける子どもたち
では、先生は、何をしていたのでしょうか。
簡単に言えば、子どもたちに「ツッコミ」を入れていました。
「どうやったの?」「それで終わり?」「本当にそれでいいの?」
――といった「後追い」で。
「あらかじめ」何もかもを教えるのではなく、思い思いに学ぶ、それぞれの子の解決を、後から追うように支えたり、共に考えたりしていました。そうして時間の終了まで後10分弱というところで、子ど
子どもたちは、今日の振り返りを始めます。が、いわば、「100の経験」が「分けると簡単」という「1の言葉」に圧縮されたことで「99の余白」ができ、納得し切れていない部分や、もっと気になることが出てきたよう。多くの子が、「もっとやりたい!!!」とせがんできます。
「ごめんね、今日は無理なんだ。」
でも、子どもたちは、言ってみれば「勝手」に学び続けます。きっと、休み時間や放課後にも、みんなで協力して学び続けたのでしょう。
・・・・・・そうして先生は、次の日の算数の時間で、驚くことになります。「いつの間にか、全員ができるようになっている」状況に。
簡単な場合の2位数÷1位数=2位数の計算が、みんな、できるようになっていたのです。