先日、大阪府の吉村知事が「ガラスの天井」を誤用したことが話題になった。この言葉は本来、女性やマイノリティなどが組織の中でキャリアアップを目指す際に本人の資質とは関係なく直面する見えない障壁のことを指すのだが、彼は感染者が急増したことを「ガラスの天井を突き抜けた」と表現したのだ。

方々から誤用を指摘された吉村知事は、以下のようにツイートした。

“蓮舫議員や太田議員が、「吉村が『ガラスの天井』を間違って使ってる!」と一生懸命だが、僕が役所内の「ガラスの天井」を打ち破る為に何をしてるのかも知らないんだろうな。その意味で使ってない。記者会見では、いつ割れてもおかしくない状態を「ガラス」に喩えただけ。会見の中身を見たら明らか。”
(https://twitter.com/hiroyoshimura/status/1348060588174282753)

誤用の指摘は男性もしている中、吉村知事は特定の女性だけを引き合いに出し、彼女たちが差別への無理解や軽視を訴えることに対して「一生懸命」という表現を使って揶揄した。これは明らかに訴えに対する軽視であり、つまり彼は「差別の軽視」を上塗りしてしまったのだ。このように差別への無自覚さを露呈させた上で、自分は差別を考えていると続ける知事。差別がなくならない日本を象徴するような、地位のある男性からのこの言動は、当然ながら火に油を注いだ。

「ガラスの天井」は、私がいるアカデミックの世界においてもずっと問題視されてきた。以前の記事「女性研究者の論文が激減…コロナ下で差別と格差が浮き彫りに」でも触れたが、ロックダウン等で在宅時間が増えた結果、女性のケア労働の比重が増え、女性研究者の研究活動が低下するなど、コロナ禍においてその状況はさらに悪化している。

そもそも、女性研究者はその数が世界的に見ても少ない。女性は、研究者としてキャリアアップを目指す以前に研究者になること自体も男性に比べて困難な状況にあるのだ。その背景には何があるのか、日本で4年、米国で3年、そしてオーストリアで6年にわたり研究者として働いている立場から考察したい。