この度、わが中田家、2021年3月より、家族でシンガポールに生活拠点を移すことになりました。なぜ? どういう経緯で? このコロナ禍に? 夫の決断に妻としての心境は? いろんな疑問・質問が様々な方面から飛んでくるので、今日はそのことについて書きたいと思います。

福田萌が一家で「シンガポール移住」を決めるまで
どんな経緯があったのか…?
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海外移住に影響した、タモリさんの存在

夫がいつか海外で暮らしてみたい、と思う理由の一つとして、よく話して聞かせてくれるのが、タモリさんの話だ。夫はデビュー直後から数年間『笑っていいとも』のレギュラーでタモリさんと毎週ご一緒していた。毎日月曜日から金曜日のお昼の生放送を31年間と言うスーパースペクタクル偉業。

夫も私も尊敬し、日本全国の誰もがきっと尊敬し、今でこそ『ブラタモリ』でいろんな街を楽しそうに知識豊かに旅している旅好きなタモリさん(しばらくコロナで休止してしまっているが)だが、そのタモリさんに夫がご挨拶のため楽屋に訪れるたびに、机で地図と電車の時刻表を広げて眺めている姿が印象的だったのだそうだ。

「旅行行きたいけど、簡単には行けないよね」と語る姿に、夫は「タモリさんのように番組を任される責任のある仕事には憧れるけど、その代償に気軽に旅行に行けなくなってしまうのか」と印象的に思ったのだそうだ。

華やかなスタジオの真ん中に立つテレビの司会者が夢ではあるけど、その夢を叶えることは時間や住む場所を制限されてしまうことを示唆する。夢を叶えたい、でも自由を手放すことになってしまうのか、というジレンマを抱えていたという。

時は流れ、いま。夫はホワイトボード一枚で自宅から仕事をしている。時間や住む場所の制限はなく、自分の裁量で仕事ができている。昨年春の時のように自宅の場所が海外になったとしても、同じように収録はできる。資料の書籍は電子でどこでも買えるし、英語ができるようになったら海外の文献も資料になって幅が広がる。

家族が家にいる自粛期間中は、バスクチーズケーキ作りにハマりました。写真提供/福田萌
 

これは今がチャレンジのチャンスではないか! そう夫の中で熱い想いが溢れ出し、2020年6月、我が家に「シンガポールへのお引越し宣言」が発出された。