京都への原爆投下を主張したノイマンの「悪魔性」と「虚無感」

生きている世界に責任を持つ必要はない
ロスアラモス国立研究所で原爆開発のための「マンハッタン計画」に参加することになった、最恐の天才フォン・ノイマン。人類史上初の核実験は大成功を収め、日本への原爆投下は刻々と迫っていた――ノイマンの生涯と思想に迫った本日発売の最新刊『フォン・ノイマンの哲学』の一部を特別公開します!

前回記事:コンピュータ、原子爆弾を開発…フォン・ノイマンの天才すぎる生涯

「爆縮型」原爆の設計

ロスアラモス国立研究所顧問として、ノイマンが中心になって推進したのが「爆縮型」原爆の設計である。これはノイマンが発見した重要な理論の一つだが、原爆の威力を最大限にするためには、落下後に爆発させるのではなく、上空でプルトニウムに点火させる必要があった。

そこでノイマンらが考えたのは、臨界点に達していないプルトニウムの周囲に32面体型に爆薬を配置して、一定の高度で爆薬に点火、その爆発の衝撃によってプルトニウムを臨界量に転化させる方式である。彼らは、この一連のプロセスを正確に制御するための複雑な数値計算を半年かけて行い、その設計は1944年末に完成した。

ロスアラモス国立研究所(photo by gettyimages)

ハンス・ベーテは、「たいていの問題を見通せる」ノイマンに大いに助けられたと言う。「俺の手におえない微分方程式もすいすい解いたし、どんな質問にも答えをくれた」とも述べている。

「計算に行き詰っている人たちは、ノイマン博士の部屋の前で待機していて、出てきたらどっと取り囲んだものです。廊下を歩きながらみんなの話を聞き、博士が会議室に消えるころには、問題の答えか、答えに行き着くための最短の道が見えていましたね」という研究者の証言もある。

強固な「社会的無責任感」

彼らの娯楽は、自然公園を散歩し、山に登り、屋内ではカードゲームに興じることだった。ノイマンもロスアラモス特有の社交生活に溶け込み、ポーカーによく付き合った。

すでに述べたように、「ゲーム理論」を創始した天才数学者でありながら、彼はカジノで負けてばかりだった。そして、ロスアラモスでは、素人を相手にしたポーカーでも負けてばかりだったというのだから、おもしろい。

彼の伝記を書いた作家ノーマン・マクレイは、ノイマンが「ゲームをしながらも、頭の中では常に10くらい別のことを考えていた」と述べている。たしかに、彼の頭脳は常にフル稼働だった。それに、幼少期から人当たりのよいノイマンは、無理にゲームに勝とうとしなかったのだろう。

ロスアラモスの科学者は、自分たちが「大量殺戮兵器」の製造に加担していることを認識し、内心に強い罪悪感を抱いている者も少なくなかった。しかし、ノイマンと散歩をしながら会話を交わしたリチャード・ファインマンは、楽になったという。

「フォン・ノイマンは、我々が今生きている世界に責任を持つ必要はない、という興味深い考え方を教えてくれた。このフォン・ノイマンの忠告のおかげで、僕は強固な『社会的無責任感』を持つようになった。それ以来、僕はとても幸福な男になった」