「産む前の自分」はもういない
復職すると、今度は別の難問があった。育休時期を終え、子どもと二人で帰国後、もといた雑誌部署に戻るつもりでいたのだが、その願いはかなわなかった。実際、以前のような仕事のやり方は一切できなかった。幸い保育園には入れたが、子どもを早く寝かせ、その間家で仕事をしようと思うほどに子どもが寝ない。それまでずっと一緒に暮らしていたこともあって、うまくベビーシッターさんにも預けられず、思い通りにならないことばかりだった。
そのとき、よくお仕事させていただいていた方に妊娠の報告をした時、言われた言葉を思い出した。
「出産ってね、ほんっとに大変だよ。もちろんおめでたいことなんだけど……わかった、あなたが死んだと思うことにする」
冗談めかした言葉に、その場では「なにおっしゃってるんですか!これからもよろしくお願いしますよ」などと返していたのだが、現実を教えてくれていたことがわかった。子どもを産む前の働き方ができる筆者は、もうこの世にいなかったのだ。
その現実はなかなかショックだったが、その現実を受け入れ、今までとは違うやり方を模索していった。結果、「違うやり方」は私に様々なことを教えてもくれた。時間がないのでものすごく集中して仕事ができるようにもなった。どうしてもゆっくり食事をしながら仕事の話をしたいというときに家族に頼むと、その貴重な時間を心から大切にするようになった。子どもに合わせて食事をし、睡眠をとり、健康的な生活をするようにもなった。何より、育児や出産だけではなく、体調や様々な事情で仕事に制限がある人の気持ちもわかるようになった。

その前の自分は、自分にも厳しかったけれど、もしかしたら周りの人にも「仕事がなにより優先でしょ」「夜遅いくらい大丈夫でしょ」「大事な会合なんだから来るよね」というような思いを抱いていたように思う。これでは、妊娠・出産を軽いことととらえ、産みたくても産めなかったり、様々な事情で産むことをしない人に対して理解ができていない二階幹事長と同じではないか。会議での発言をよしとせず、夜の会食で全て決めてきた政治家の考え方とあまり変わらないではないか。そもそも、果たして朝5時まで会社にいて、8時にまた来るような生活を続けていたら、筆者は健康でいられたのだろうか。そうでなければ仕事ができないことの方が問題ではなかったのだろうか。
筆者が体験して様々な間違いに気づいたように、二階幹事長や森喜朗氏には、『朝起きたら妻になって妊娠していた俺のレポート』の主人公・優一のように、妊娠・出産、そして復職を体験していただきたいと心から思う。「自分事」として考えていないからこそ、その言葉が差別的だという理由がわからないと感じるからだ。だた、現実には体験できないのだから、せめて『コウノドリ』や『朝起きたら妻になって妊娠していた俺のレポート』を教科書として読んでいただくなり、当事者の声に耳を傾け、現実を認識していただきたいものだ。
森氏の差別的発言、そして辞任の問題は、日本の問題を可視化した。それを、高齢者いじめかのような問題にすり替えてほしくはない。森氏個人を叩くのではなく、発言の問題性をきちんと認識する必要があるということなのだ。あーあ、昭和の古い人が言っちゃったよ、という問題ではないのだ。言っちゃったよ、を繰り返してきたからジェンダーギャップ指数153ヵ国中121位の今の日本があるのだ。辞任で終わりなのでは決してない。差別の根底をみつめ、様々な気づきを得て、よりよい社会に変えていくためのいいチャンスにしたいと心から思う。
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最終巻が4巻が刊行となった『朝起きたら妻になって妊娠していた俺のレポート』本当に教科書にしてほしいとも思う。↓
文/FRaUweb編集長 新町真弓