ファンの側だって、気づかないうちに別のアーティストのファンになっているかもしれない。残酷ですよね。ファンとアーティストは、どこまでいってもクリーンな関係ではいられない。だからこそ、その結びつきに執着心が生まれる。
――2017年に日記を書籍化した『苦汁100%』を出されたのも、「現実の自分を見せる」ということなのでしょうか。
日記を本にしたのは、一種の言い訳でもあります。自分の悪い部分、汚い部分、醜い部分を出していく。当時は特に声が思うように出ない時期だったので。
今回、自分が音楽以外を通して伝えようとしていたこと。それを小説という形で表現したのが、『母影』です。

地面に近い視点を大事にしたい
――表現についてお伺いします。「歌う言葉」である歌詞を書くことと、「読んでもらう言葉」である小説を書くことは、どう違っているのでしょうか。
音楽は、ライブや音源で身体を通して感じられるものです。自分の体を使ってギターを弾いて、歌う。音も歌詞も、自分の体から出ている実感がある。
お客さんもそれを受け取って、手を挙げたり、飛び跳ねたり、歓声をあげて答えてくれる。肉体的なもので、ストレートに伝わる実感があるんです。
小説ではそうはいきません。読んでいる人は書かれた言葉に没頭する。読んだだけで分かるように、状況の説明や風景の描写だって必要になります。
自分の頭の中で思っていることが、そのまま伝わるとは限らない。表現を紙に落とし込んだ時点で、もう、頭の中で考えていたことから少しずつ離れていってしまう。受け取る側の解釈もそれぞれだから、伝えたいことはどうしても薄まっていく。作品自体も、それを読んだ感想も、音楽と比べればはるかに複雑な情報のやりとりになっていると思います。