"サイエンス365days" は、あの科学者が生まれた、あの現象が発見された、など科学に関する歴史的な出来事を紹介するコーナーです。
二世代にわたって夫婦でノーベル賞を受賞
1900年の今日(3月19日)、フランスの物理学者フレデリック・ジョリオ=キュリー(Frédéric Joliot-Curie)が誕生しました。
「フレデリック・ジョリオ」の名でフランス・パリに生まれた彼は名門・パリ市立工業物理化学学校(ESPCI)を卒業し、25歳でラジウム研究所(現・キュリー研究所)に勤務することとなりました。彼はラジウムの発見者であるマリー・キュリー(Marie Curie、1867-1934)のもとで助手として働き、彼女の娘イレーヌと知り合いました。
翌年、1926年にフレデリックとイレーヌは結婚し、2人のもともとの名字を合わせた「ジョリオ=キュリー」という新たな姓を名乗りました。この「複合姓」は欧米ではよくある概念で、日本でもクルム伊達公子さんのように、国際結婚をした人などに見られます。
1935年、フレデリックとイレーヌの夫妻はノーベル化学賞を共同受賞しました。受賞の理由は、アルミニウムに放射線のアルファ線を当て、世界で初めて放射性同位体(原子番号は等しいが質量が異なる原子)であるリン30を得ることに成功したことです。
放射性同位体や放射性元素は非常に不安定で、放射線を放出しながら原子核を崩壊・変質させ、安定な状態の元素に変化します。リン30は崩壊するまでの時間が比較的長い元素ですが、それでも「半減期」(原子の半分が安定な元素に変化するまでの時間)は2分半しかありません。
第二次世界大戦期にフランスがナチス・ドイツに占領されると、フレデリックはレジスタンス運動に参加し、ドイツによる支配に抵抗しました。戦後はフランス国立科学研究センターの総裁や原子力庁の長官を務めるなど、学界の重鎮として活躍しました。
