渋沢栄一がいなければ今の日本はなかった…結局、何がスゴかったのか?

鉄道の歴史から見えてくるもの
佐藤 信之 プロフィール

そもそも明治政府のもとで進められた欧化政策では、イギリスのアダム・スミスの功利的経済学の影響を受けたが、アダム・スミスの経済学を「功利的」と評したのは世間の側であった。アダム・スミスは、もともと宗教家で宗教学の教師であった。

彼の代表的な著作の『富国論』も、市場メカニズムを神の見えざる手として、自由放任に任せれば経済的な福祉を高めることができるというものであるが、その市場メカニズムの通用しない、公共が担当すべき分野を規定していた。たとえば、治安維持や国防であり、社会的な基盤を整備する公共事業である。

渋沢栄一も、東洋的な儒教や朱子学という道徳観を基盤とした経済活動を主張し、純粋経済活動というよりも、社会的なインフラ整備に活動の重点を置いた。

 

財界人として一目置かれる存在に

渋沢栄一は、まず経済活動の仕組みの構築から着手した。

明治11年には、現在の東京商工会議所の起源となる東京商法会議所を設立して、初代会頭に就任した。東京のほかに大阪と神戸に商法会議所が設けられ、その後、各地の大都市に広がっていった。

明治25年にはこれらの連合組織として商業会議所連合会が組織されたが、これが現在の日本商工会議所の起源である。

現在は、中小企業を中心とした経済団体として、戦後設立された日本経済団体連合会、経済同友会とあわせて「経済三団体」と呼ばれる。また東京商工会議所の会頭が日本商工会議所の会頭を兼ねることが慣例となっている。

渋沢は、さまざまな公益事業の起業にかかわったが、鉄道では、国内各地のほか朝鮮半島での鉄道整備を推進した。

鉄道は、明治政府が近代的で中央集権的な政府を確立するうえで、枢要な社会的なシステムである。国が、明治5年に新橋~横浜間、明治7年に大阪~神戸間の鉄道を完成させて以降、東海道本線などの幹線鉄道の整備を進めていった。

しかし、松方デフレ政策により、経済が安定しない状況の中で、政府は、民間資金(金禄公債証書)を活用して国が鉄道を建設・運営する手法を案出して、日本鉄道を完成させた。

明治22年に東海道本線が全通し、明治24年には日本鉄道も上野~青森間を開業して、順調に幹線鉄道網の整備は進んでいた。

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