渋沢栄一がいなければ今の日本はなかった…結局、何がスゴかったのか?

鉄道の歴史から見えてくるもの
佐藤 信之 プロフィール

東京では、明治20年代の後半には、路面電車の出願が相次いだ。明治23年に上野公園で開かれた第3回内国勧業博覧会で、東京電燈がアメリカから輸入したスプレーグ式電車を展示運行したことに刺激されたことによる。

この東京電燈会社は、渋沢栄一も発起人に参加したが、むしろ藤岡市助などの若手の技術者が発起した東京電燈に、東京商法会議所の会頭であり、銀行家として、資本面などで支援したということなのであろう。

現に、東京電燈が計画されたのと同時期に大倉喜八郎らが日本電燈会社を設立して競合したため、共倒れにならないように、渋沢栄一は合同を仲介した。

なお、国内で最初の電気軌道は、明治28年に京都電気鉄道が開業させた現在の京都駅の東側近くの東洞院塩小路下ルと伏見下油掛を結ぶ区間であった。

東京の電気鉄道は、明治22年に大倉喜八郎らが出願したのが最初というが、上野公園での展示より前なので実現性に疑いがもたれて却下。続いて明治26年10月に雨宮敬次郎ほか41名による電気鉄道、同年11月にいったん却下された大倉喜八郎らによる電気鉄道が出願しなおされた。翌年3月には上野公園で展示運転を行った東京電燈の藤岡市助ほか5名も電気鉄道を出願した。この3社は、明治28年3月に、当局からの指導により合同して、新に東京電気鉄道となった。

 

続いて、明治28年6月に渋沢栄一をはじめ三井の藤山雷太、中上川彦太郎、時事新報社社長の福沢捨次郎らが初代東京電車鉄道を計画。さらに、自由党の党員を中心とする利光鶴松、井上敬次郎、野中万助、青木正太郎が発起人となる空気圧搾式東京自動鉄道が計画された。これはもともと東京市が公営で敷設する計画であったが、当時の東京市会や参事会に反対されたため、結局民営会社として出願された。

明治32年7月、先の東京電気鉄道と初代東京電車鉄道、東京自働鉄道は合同して東京市街鉄道となり、明治36年9月に数寄屋橋~神田橋間を開業した。

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