2021.03.02
# エンタメ

インドネシア大虐殺事件「罪に問われない殺人者」の闇落ちを追う『アクト・オブ・キリング』の衝撃

サブスクで観れる「ほぼ独断」隠れ名作3
高木 敦史 プロフィール

プレマン=自由人とは?

彼らは自らを「プレマン」と呼びます。その語源は英語のフリーマン……つまり自由人です。彼らは自由で、何者にも縛られずに人生を謳歌してきました。虐殺に際しても、自分たちは自由人だから自由を脅かす連中の駆逐をしたまでだ、といった言い様です。

プレマンがふだん何をしているのかというと、賭博を取り仕切ったりナイトクラブの用心棒をしたり、密漁、密輸にあとは商店街で金をせびったりしています。

本作の撮影中も、馴染みの店に行っては「映画を撮るから金が欲しいんだ」「俺とお前の仲だろ?」「これだけか? 俺じゃなかったらぶん殴られてるぜ」なんて気さくに語りかけては差し出された金を受け取ります。そして「もっと権力を持てばもっと金を出させることができるのに」なんて笑います。

では、彼らの言う自由とは、権力者になって私腹を肥やすことなのでしょうか?

 

彼らプレマンは時の権力者たちの指示で殺人を行っていました。

権力者たちはそれを認めず「共産主義者を捕まえろとは言ったが、殺せとは言ってない」などと口にしますが、アンワルや当時の仲間たちははっきりと「彼らの指示だ。怪しい奴を捕まえてくると、殺すかどうかは上の連中が決めて、俺たちはそれに従った」と証言しています。

その証言がまったくの嘘ではないことは、現在も権力者たちがプレマンを警戒している点からも伺えます。権力者たちは、かつての自分たちの行いについて語られて自分の身が危うくなることを恐れてます。だからプレマンたちは過去も現在も野放しです。何の断罪もされていません。

Image by iStock

アンワルをはじめプレマンたちは「断罪されていない」ことを、彼らの行いが「正当」であったことの根拠としているのです。我々が正義じゃないなら断罪されているはず。されていないのだから正義だ。という論法です。

自分たちが自由なのは、かつての殺人が正しかったと上からお墨付きをもらっているからだ。もしもっと権力を得たなら、そのお墨付きすら自らの裁量で決められる。そうすればもっと自由でいられる——。

つまるところ彼らの自由とは、お金や権力そのものではなく「責任を持たずにいられる状態」なのです。

関連記事