2021.03.02
# エンタメ

インドネシア大虐殺事件「罪に問われない殺人者」の闇落ちを追う『アクト・オブ・キリング』の衝撃

サブスクで観れる「ほぼ独断」隠れ名作3
高木 敦史 プロフィール

環境に優しい暮らしを心がける。貧困国への援助活動に身を投じる。様々な搾取構造に反対の声をあげる。そこまで肩肘張らずとも、募金や寄付も一つの形ですし、あるいは「手に負えない」と目を瞑ることもあるでしょう。

やり方は一人一つではなく、ケースバイケースであり、複合的です。ですが、我々は一人一人がいくつもの選択肢を持っています。

先述したとおり、アンワルたちプレマンの言う自由とは、無責任な状態でいられることでした。しかし本当の意味での自由というのは、責任の取り方に選択肢を持てる状態のことです。

選択肢を持てないことの不自由さをまざまざと見せつけられるという点で、この『アクト・オブ・キリング』は、見た人にとって本当の意味での「自由」を問う映画ではないかと思います。

 

アンワルはお洒落な老人で、その語り口にはユーモアさえあります。そしてプレマンたちの姿も、チンピラまがいの振る舞いをするものの、どこかとぼけた感じに描かれています。

自分がかつて劇場で見た際など、おかしくて吹き出してしまったシーンもあるほどです。しかし、そんな一見脳天気にさえ見えるプレマンたちの心の内には「罪に問われた」かどうかに関わらず、罪の意識が存在します。

全ての撮影が終わり、自分たちの映画を見るアンワル。「殺人の演技」の果てに、初めて被害者の心境を思いやります。言葉少なですが彼の表情は雄弁で、あるいは自らの不自由さに気づいたのかもしれません。

もう一つの視点

ところで、スカルノ元大統領の第三夫人として知られるデヴィ夫人は、この「9月30日事件」を当事者として経験したそうです。

かつてインタビューでは、宮殿に籠もる日々でいつ反政府組織に襲われるかわからない、警護している者もスパイかもしれない、今襲われたらどうやって逃げようかなんてことばかりを考えて過ごしていた、といったことを語っていました。

スカルノ大統領自身が共産主義者だったわけではありませんが、当時西側諸国では共産主義に対する忌避感が高まっていたこともあり、大国はこの件を無視していました。

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