政府が推し広める新型コロナ「後遺症」の風説を嗤う

過剰に不安を煽ることの「副作用」
與那覇 潤 プロフィール

もしここまで読んで、多少なりとも心に響くものがあったら、オンラインで無償公開している私の「うつ」の体験を見てみてほしい。少なくとも、感染への恐怖を煽る報道や政府広報よりは、いまあなたが抱く不安を落ち着かせることに役立つと信じる。

 

ほんとうの「専門家」の意義とは

おそらくこの記事は一部の読者から、「あなたはただのうつ病体験者で、医者じゃないだろう。黙って専門家の言うことに従え」といった反発を受けると思う。昨春の最初の緊急事態宣言下に、当時政府が推進していた「接触8割削減」を批判した際にも同様の非難を浴びたので、予想がつくわけだ。

だから今回は、はっきりと言っておこう。そうした考え方は、まちがっている。

近代医学の成立以降にかぎっても、「専門家」のほうが誤りを犯した例は無数にある。日本史上で有名なのは、軍医を本職としていた森鴎外だ。

森鴎外〔PHOTO〕WikimediaCommons

脚気(かっけ。ビタミンB1の欠乏によって起きる)を伝染病だと信じ込んだ鴎外は、適切な兵食改革がなされるのを妨害し、日露戦争で多くの病死者を出した。ドイツ留学歴をもち陸軍軍医総監にまで昇りつめた鴎外の専門知よりも、パン食や麦飯が脚気を防ぐことを経験的に知っていた、現場の生活知のほうが正しかったのである。

いま、コロナ感染者が回復後に悩む症状を「ウイルスの後遺症」と見なす専門家がいる。そうした作業仮説をもって研究に取り組むことが、科学を前進させる可能性はあるのだから、もちろんそれはそれでよいことだ。

しかし、それは同じものを「社会的に作り出された排除の空気が生む、うつの症状」だとする生活者の理解を、「発言者が医師でないから」として棄却する理由にはならない。専門家というポジションは、そのようなことのためにあるのではない。

なんらかの言論を発信している人を、信頼するか否か。正しい判断の基準となるのは、まず(1)その人が自身の主張の「副作用」までを考慮に入れて発言しているか。そして副作用の方が主たる狙いを上回ってしまう場合も含めて、(2)自分が過ちを犯したときにそれを認め、撤回する誠実さを持っているかである。

この両者に比べれば、「専門家か、そうでないか」や、まして「理系か文系か」といった違いには、なんの重要性もない。

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