ゲイであるライターの富岡すばるさんは、学校で学ぶ性教育をどこか遠い存在のように感じていたという。そんな富岡さんが、女性の予期せぬ妊娠の問題について初めて興味を抱いたきっかけは、マドンナのある歌だった。80年代に物議を醸したその歌は、女性のリプロダクティブ・ヘルスについて、いまなお古びることのないメッセージを含んでいる。3月8日の「国際女性デー」に、富岡さんがその歌を通して伝えたいこととは。

※以下、富岡すばるさんによる寄稿。

「性教育の失敗」は「人権教育の失敗」

僕はかつて、夜の世界で働いていた。そこで、コンドームをつけずに女性とセックスしたがる男性を数多く見てきた。いや、数多くというか、むしろ腐るほど見てきたといったほうが正しいかもしれない。

「つけないほうが気持ちいい」「(自称)ゴムアレルギー」など、テンプレートでもあるのかと思うくらい、みんな似たようなことを言う。しかし、こういうことを平然と言える男性も、決して性に関する知識がないわけではない。避妊をしなければ相手の体に大きな負担をかける可能性があることくらいは、当たり前のように知っている。彼らはただ、相手が妊娠しても別に知ったこっちゃない、と思っているだけなのだ。そもそも、コンドームは避妊よりも感染症予防の効果が認められているわけだけれど、感染症になったって別に知ったこっちゃない、という意味ももちろん含まれる。

 

日本の性教育において、性行為や避妊について教えられていないことが近年、問題視されている。僕は常々、性教育の失敗は人権教育の失敗そのものなのではないかと感じている。最低限の性知識があっても人権意識がなければ、それを活かすことができないという実例を、こうして山ほど見てきたからだ。

互いに了承のもと避妊をせず、その結果として子供ができたとしても、女性の背負うリスクは男性よりもはるかに大きい。それはわざわざここに書くまでもない当たり前の話だし、誰しもが知っているはずのことなのに、やはりどうも軽視されているように見える。それは前述した男性たちだけの話ではなく、国そのものがそうなのではないか、と。

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日本では未だにアフターピル(緊急避妊薬)が処方箋なしには入手できず、シングルマザーへの養育費未払いの問題も解決しているとは言えない状況だ。女性の権利をめぐる議論は一進一退で、コンドームなしでセックスしたがる無責任男が大量発生する土壌がこの国にはまだあると、残念ながら言わざるを得ない。そして、これはもちろん日本に限った話ではない。

人工妊娠中絶を禁ずる法律がポーランドで施行されたというニュースが目に飛び込んできたのは、今年に入ってからのこと。性暴力によって妊娠した場合などを除き、ほぼ全面的に禁止になるという。こうしたニュースを見ると、妊娠・出産にまつわる責任が女性だけに押しつけられていて、男性が背負うべき責任はどこへいったのだろうかと感じてしまう。