山田氏はもともと法曹界志望で、「『司法試験を受けて法曹界で働きたい』という夢があり、法学部に入学しました。元総長の奥島孝康先生のゼミに入り、勉強付の日々でした」と早稲田大学発行の「早稲田ウィークリー」で語っている。
だが在学中に国家公務員だった父が死去。「葬儀で、父の同僚の方や後輩の皆さんとお話させていただく機会があり」「公務員もやりがいのある仕事だな、と進路変更を決断しました」(「早稲田ウィークリー」)。
バツイチで、旧郵政省では3年後輩の吉田博史氏と再婚、息子が1人いる。総務省が2013年度に発行した「先輩からのメッセージ集」では「(息子が)議会答弁の前日など大切な時に限って高熱を出し、夜中におぶって救急に駆け込むことも」あったと振り返っている。
山田氏とは報道関係者や有識者を囲んだ勉強会で何度か顔を合わせており、懇親会ではきちんと一律の会費を払っていたことも覚えている。かつて休日に、山田氏と吉田氏と長男の一家3人に都内の映画館でばったり会ったこともある。親子で一緒に映画を見るという、仲むつまじい様子が伝わってきた。
「女性初」首相秘書官に抜擢されるも…
2013年、山田氏は安倍晋三元首相に抜擢され首相秘書官に就任した。これは女性初であると同時に総務省初の首相秘書官で、当時、大きな話題になった。

霞が関の各省庁から選ばれる事務担当の首相秘書官は、通常は主要官庁とされる外務省、財務省、防衛省、警察庁、経済産業省の5省庁から1人ずつが就任する。だがこの年は新たに総務省が、地方創生と女性活用を旗印に山田氏を強く推薦し、1人増員となった経緯があった。
当時、官房長官だった菅首相がこの人事にどこまで関わったのかはっきりしない。しかし2009年に総務省で情報通信と郵政担当の副大臣に就任している菅首相は、山田氏とはその頃以来の付き合いだったという。