2021.03.14
# ナチズム

なぜナチズムは「国家社会主義」ではなく「国民社会主義」と訳すべきなのか

「訳語」はこんなに重要です
小野寺 拓也 プロフィール

その意味で、今回とくに強調したいのが第三の点、「国家社会主義」という訳語を当てることによって何が見えにくくなっているのか、ということだ。

メディア史研究者の佐藤卓己は、次のように指摘する。

「そこには全体主義論でソ連共産主義と一括りにしたいという反共的な思惑とともに、「国家」責任のみ追及して「国民」責任を問おうとしない心性が見えかくれしている」(佐藤卓己『ファシスト的公共性―総力戦体制のメディア学』岩波書店、2018年、62ページ)。

「国家社会主義」という訳語によって、人びと=国民のナチ体制への協力を見ないようにしようとしているのではないか、という指摘である。

 

なぜ「ふつうの人びと」が協力したか

1980年代までは、実は研究者たちにも似たような傾向が見られた。

この時期までナチズム研究は、「意図派」と「機能派」という二つの学説の争いによって進められていた。ナチ体制は、ヒトラーの思想や意図が上意下達されていく全体主義体制だったのか(意図派)、あるいは機能(幹部)エリート達がさまざまに体制に関与することで成り立っていた多頭制的な支配なのか(機能派)という、議論の枠組みである。しかし議論の対象は、基本的にはエリート達だけであった。
 
しかし1990年代以降、こうした研究の枠組みは大きく変わることとなる。ヒトラーやエリート達だけではなく、「ふつうの人びと」による同意、協力、支持、すくなくとも黙認があったからこそナチ体制は成り立っていたのではないかという「賛同に基づく独裁」論が、学界を席巻するようになったのである。

人びとは暴力によって強制されたりプロパガンダによって「洗脳」されたりしただけでなく、それぞれが「主体性」と「動機」をもってさまざまなかたちでナチ体制に協力していったことが、次々と明らかになっていった。

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