大学教授の僕が、12歳の息子に「自分みたいな大人になるな」と話す理由

目の前の幸せを、大事にしてほしい
井手 英策 プロフィール

戦後しばらくは違った。日本社会の大多数が飢えと貧しさを経験したからだ。僕たちの親世代は、飢えと貧しさのない社会を作ろうとした。その試みは大きな成果をもたらし、ほとんどの人が生きるか死ぬかという不安から解放された。

だが、幸福な時代は、終わった。貧困の体験と記憶は多くの人たちの脳裏から消えた。代わりに、子どもの数を減らし、持ち家をあきらめ、食料や衣料を切りつめながら、人並みの暮らしをなんとか維持するのが当たり前の時代が訪れた。

極貧を体験せず、様々な欲求を抑えながらなんとか生きている人たちからすれば、自分と同じように苦しむことなく、国の金に頼ってのほほんと生きているように見える人たちを許せるはずはない。だから、自分だってしんどいんだからお前も我慢しろという、自己責任論、自助論、同調圧力が見る見る強まっていった。

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だから僕はみなさんに聞きたいのだ。僕たちは、漠然とした不安と息苦しさに覆われた社会を生きている。このモヤモヤした社会を、そっくりそのまま、子どもたちに残していいのか。生まれた価値のある社会に変えなくてよいのか。だから僕はみなさんと考えたい。子どもたちへの「社会の語りかた」を。

子どもたちに、“怒り”を教えたい

答えはわからない。ただひとつ、僕は、貧しさの体験や悲惨さではなく、理不尽さ、不条理さを子どもたちに伝えたい。

じつは、僕自身、かなり貧しい家庭で育った。母子家庭の生まれで、母のスナックのカウンターで勉強して大きくなった。だから、貧しさのなかから手にした価値観を子どもたちに伝えることはできると思うし、実際に試みたことがある。

でも効果はなかった。実感のない、遠い昔の物語なんかに共感してくれるはずがなかったのだ。それよりも、この社会には、理不尽さが満ちている。そのことをどう感じるか、繰りかえし聞くことくらいしかできない、僕はそう思った。

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