とはいえ、『エヴァンゲリオン』に何かを求めるすぎることは、そろそろやめたほうがよいのだろう。たしかにエヴァは「気持ち悪」さのない、軽やかな消費物となることで、アニメーションをこの世界に対応するよりラディカルで、アクチュアルな表現にする貴重な可能性を潰してしまった。
しかし別の見方からすれば、そうすることで、エヴァ(あるいはそれにシンクロした現象としての秋葉原)なしで、96年以後の世界に自分の手によって向かい合うという課題をついに浮き彫りにした。
つまり『シン・エヴァンゲリオン:||』は、いま日本や特定の年齢層のものを超え、多くの人を捉えるアクチュアルな作品(エンターテーメントであれ、そうでないとしても)をつくるとしたら、いかなる問いに向き合い、何を考えなければならないかを、逆説的な仕方で問うのである。