飛込の元日本代表で、競泳の瀬戸大也選手の妻でもある馬淵優佳さん。日本代表の監督である父のもとで4歳のときから競技を続け、2017年に引退。今は0歳と2歳児の母でもある。当時は辞めたくてもやめられずに泣いた時期もあったようだが、今は日々「やってよかった」と感謝を抱くという。
では他のアスリートたちはどうなのだろうか。馬淵優佳さんが「スポーツが教えてくれたこと」を伝えて行く連載、今回は広島カープの主将にして、日本代表の四番である、鈴木誠也選手にたっぷりお話を伺った。

鈴木選手のことをきちんと知らなかった
「鈴木誠也」といえば、押しも押されもせぬ日本の四番。広島カープの主砲にして主将でもある。
ある日、インターネットを通じて彼を見た時、ある種の衝撃を受けると同時に「ぷっ」と笑ってしまった。そこには、試合開始前のスタメン紹介で大画面に映し出される茶目っ気たっぷりにふざける鈴木選手がいた。スタジアムが歓声と笑いに包まれた時、彼はアスリートであると同時にエンターテイナーだと感じた。インタビューを聞いていても決して飾ることのない真っ直ぐな姿勢を見てあっという間に魅了されてしまった。どうやって「鈴木誠也」になったのだろう。野球の素人でも、アスリートとして話を聞きたい。ドキドキしながらも初めての取材オファーをしたのだった。
鈴木選手へのZoomでのインタビューで、鈴木選手は常に真剣に考え、言葉を選びながら誠実に答えてくれた。そして鈴木選手自身がいかにして日本を代表する「鈴木誠也」に成長したのか彼自身の言葉で話してくれた。

女の子より野球が下手だったのが本気のきっかけ
「確かに父が熱狂的な巨人ファンだったけど、父にプロ野球を見せられても興味を示さない普通の少年でした。僕は人と同じことをしたくない、じっとしていられなくて、授業中も立ち歩きたくなるような性格。そんな僕が野球をやり始めたのは小学1年生の頃でした。女友達に誘われ、野球をやったときにその友達より下手だったことに衝撃を受けたんです。僕、負けず嫌いだったから(笑)。そこから野球の練習を自発的にやるようになって、父に『野球をやりたい」と相談しました。とプロの世界は硬式野球が主流だからという勧めもあって、小学2年生のとき、シャークスという地元の小さなリーグに所属しました。でももっと野球を真剣にやりたいという思うようになり、『荒川リトル』に転向したんです」
野球を始めたきっかけが、女友達にかなわないと思ったからだという驚きのコメントが飛び出した。ちなみに荒川リトルとは荒川シニアという中学のチームもあり、野球の強豪校に多くの学生を送り込む強豪チームだ。こうして、野球に全く興味のなかった少年は、女友達に負けた悔しさをきっかけに「野球少年」になった。
