元飛込の日本代表で、競泳の瀬戸大也選手の妻でもある馬淵優佳さん。競技を始めたのは4歳のときで、引退してからも夫はアスリート。スポーツ抜きに人生は語れないという。自身も競技を辞めたいと思うこともあった中、やはり「スポーツは素晴らしい」と思う、それを確かめるために、様々なアスリートの話をお聞かせいただく。

アスリートを引退後、様々な活動をしている馬淵さん。鈴木誠也選手へのインタビューが初めてのインタビューとなった 撮影/杉山和行

その第1回に登場いただくのが、広島東洋カープの主将で、日本代表の四番の鈴木誠也選手だ。記事の前編では、鈴木選手がどのようにして育ったのかをお伝えした。後編では、甲子園出場をしていなかった鈴木選手のドラフトの時の想いや、「人生が変わった」という怪我のお話をお伝えする。

すずき・せいや 1994年生まれ、東京都出身。二松学舎大学付属高校から、2012年のドラフトにて広島2位指名で入団。2013年より一軍に昇格。2016年、広島カープ25年ぶりの優勝にも大きく貢献、その年の流行語大賞「神ってる」の授賞式にも広島カープを代表として登壇した。2017年には第4回WBC日本代表に選出。シーズン中の怪我により途中離脱もあったが規定打席に到達。2年連続のゴールデングラブ賞、ベストナインを受賞。2018年自身初の開幕4番。3年連続のベストナインを受賞、2019年シーズンより背番号1番への変更が発表。2019年のオールスターゲームファン投票ではセ・リーグ最多得票数を獲得し4年連続の選出。140試合に出場し自身初となる首位打者、最高出塁率のタイトルを獲得。4年連続のベストナインと2年ぶりのゴールデングラブ賞を受賞。第2回WBSCプレミア12日本代表に選出、大会MVPとベストナインを獲得した。2020年シーズン5年連続打率3割に到達。ベストナイン、ゴールデングラブ賞のタイトルを獲得。
 

ドラフト待機場所に記者はふたりくらいだった

2012年10月25日に行われたドラフト会議。この日は鈴木選手の人生を大きく変えた日といっても過言ではないだろう。広島カープから2位指名を受けたそのとき、彼は何を思っていたのか。

「元々は甲子園にも行っていないし、大した成績を残した選手でもないので。もちろんスカウトの方が見にきていたし、色々な情報は入っていたんですけど『下位指名、育成指名になる可能性もある。ドラフトから漏れる可能性もある』と言われていました。だから僕も『どうせ下位くらいだろうな』と思いながらテレビでドラフト会議を見ていたんです。同世代には大谷選手や藤波選手みたいな甲子園で活躍してたような選手がいっぱいいたので『プロ入り確実の選手は今どういう気持ちでいるんだろう』と考えたりしていました。

そしたらまさかのまさかで2位指名を受けて『え?2位?』と驚きました。当時、僕がドラフト会議を見ていた部屋には記者席が50席くらいあったのに、2人しかいなかったんです。家のリビングくらいの広さしかありませんでした。監督とも『なんか寂しいな』と話してて。それに対して大谷選手たちは目の前にマイクが束のようになって置いてあって、体育館くらいの大きなホールでやってるわけですよ。

ただ、ぼくの2位指名が決まった瞬間、記者が部屋に収まらないくらいすごい勢いで部屋に入ってきました。『うわ、すげー!』と驚いたのをよく覚えています」

大谷翔平選手のように「絶対指名を受ける選手ってどう思っているんだろう」という思いの中で待機していた…Photo by iStock

話を聞いて当時の鈴木選手の状況が安易に想像できた。メディアから注目されていたわけでもなく、鈴木選手自身も期待をしていたわけでもなく、他の選手の気持ちを考えながら傍観していた状況が一変したのだ。2位指名を受け、天地がひっくり返るような気持ち思いだっただろう。