2021.03.31
# 戦争

最新兵器レーダーを積んだ訪独潜水艦は、なぜ帰国目前に沈んだのか

唯一の生存者が語った爆沈の真相
神立 尚紀 プロフィール

暴風圏では漂流もしかけた難航海

日本海軍の潜水艦の前進基地であるペナンで補修と補給を受けたのち、4月22日に出港。ところがここで、伊三十潜は、行きがけの駄賃に、ドイツ行きとは別の作戦に使われることになる。

商船を改装した特設巡洋艦2隻(「報国丸」「愛国丸」)と5隻の潜水艦からなる「甲先遣支隊」に組み入れられ、アフリカ大陸東岸のイギリス軍基地を偵察する任務を与えられたのだ。これは主に、ドイツからの要請に基づいた作戦だった。

 

伊三十潜はまず、アラビア海に進出、搭載している零式小型水上偵察機をもって、アデン、ジプチの敵港湾を偵察。次いでアフリカ東岸を南下しながら、アフリカ中部の要衝・ザンジバル港、ダル・エス・サラーム港を偵察することになった。

「アラビア海はベタ凪ぎで、日中の炎熱地獄には閉口しました。赤道直下を南下する頃になると、スコールの来襲があったりして、むしろ過ごしやすくなりましたね」

5月19日、荒天のなか、あえて飛行機を発進させたが、虎の子の飛行機が着水時にフロートを折損してしまい、以後の航空偵察は不可能になる。その後、伊三十潜はモンバサ港内に潜入、潜望鏡で敵情を偵察し、続いてマダガスカル島北端東岸のディエゴスワレスの英軍基地の港口を監視、味方潜水艦による特殊潜航艇攻撃を支援した。

そして、通商破壊戦を命じられ、南アフリカとオーストラリアを結ぶ補給路に向かったがここでは敵艦船と出会わず、6月中旬には作戦が打ち切られることになり、18日、甲先遣支隊はマダガスカル島東方300浬の地点に集合。ここでようやく、伊三十潜は僚艦と別れ、ドイツに向かうこととなった。

「特設巡洋艦『報国丸』から燃料パイプが送り出されて補給が始まり、続いて糧食の梱包が次々と海に投げ落とされ、爪竿(つめざお)を使って総員がかりでこれを拾い集める作業があわただしく行われました。無事補給が終わって、いよいよ訪独へと向かったのは6月18日の午後のことでした」

呉を出港してすでに70日近くが経過していた。竹内は、航海長・佐々木淳夫中尉を補佐して、一日交替で艦位測定のための天測を行うことを艦長より命じられた。陸地の見えない航海が続くので、艦位測定は重大な任務である。竹内は、六分儀を使っての天測に懸命に取り組んだ。

艦が大西洋に出るには、喜望峰の沖を通らなければならないが、軍令部からは、敵の哨戒機を避けるため、大陸の沖合い300浬(約556キロ)の外を通過するよう厳命が届いていた。だが、ここは「ローリングフォーティーズ」(Roaring Forties-風浪叫ぶ40度線)と呼ばれ、風速40メートルを超える西からの強風が常時吹き荒れる、世界屈指の難所だった。

「艦が南南西に進むにつれ、しだいに荒れ模様の天気になり、ついに暴風圏に突入しました。風はうなりを上げ、怒涛は果てしなく重なり合って押し寄せ、艦は木の葉のように翻弄されて、いまにも押しつぶされそうでした。艦橋の分厚いフロントガラスはいつのまにか流失し、哨戒見張員はロープで艦橋の支柱に体を縛りつけ、ずぶ濡れになって2時間の当直を頑張るという有様でしたが、特に真っ暗闇での当直は、あまりのすさまじさに恐怖の戦慄さえ覚えたものでした」

傾斜は45度にも達し、艦内では、お茶を飲むのにも、ヤカンを天井から吊り下げなければならなかった。ついにはエンジンの排気口から流入した海水がピストンを破壊、一時は主機械が停止し、漂流して風に押し戻されるという危機にも直面した。

「そのとき、ちょうど艦のそばをイルカの群れが通り過ぎたんですが、おまえら人間は何をやっとるか、という目で見られているような気がしましたよ」

風波と戦うこと2週間。伊三十潜はやっとの思いで大西洋に出ることができた。大西洋上は先ほどまでの時化(しけ)がうそのような穏やかさで、艦は順調に北上を続けた。途中、トビウオの群れと出会い、甲板上に飛び跳ねるトビウオをバケツ一杯拾い上げるなど、思わぬご馳走もあった。

艦内では、ドイツ語に堪能な航海長・佐々木中尉の指導で、ドイツ国歌の練習が始められた。また、艦長以下、主要士官のベルリンへの招待や、総員のパリ見学などの行事予定が入電し、艦内の空気が一気に明るくなった。

英空軍基地のあるアゾレス諸島に近づいた8月1日、2日と敵哨戒機の空襲を受け、あわやということがあったものの、伊三十潜は8月2日、ビスケー湾に入り、8月6日の朝8時、あらかじめ指定されていたロリアン郊外の指定地点に浮上した。

上空にはすでに4機のドイツ空軍機が待ち受けていた。4ヵ月もの間、陸地を見ない航海だったが、天測航法だけでみごと地球上の一点に到達したのだ。

「ドイツ軍機の信号弾に応えて、マストに軍艦旗を掲げました。感激の一瞬でしたね」

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