2021.03.31
# 戦争

最新兵器レーダーを積んだ訪独潜水艦は、なぜ帰国目前に沈んだのか

唯一の生存者が語った爆沈の真相
神立 尚紀 プロフィール

「軍艦マーチ」で歓迎を受け、パリ観光も

伊三十潜は、鋼鉄に木板を貼りつけた特殊な構造の機雷原突破船に先導され、その船が曳くブイ(浮標)にしたがって、駆潜艇5隻に護られながら、ロリアン港に向かった。港口近くでは一隻の高速船が接舷し、出迎えのドイツ駐在首席補佐官・渓口(たにぐち)泰麿中佐と、水先案内のドイツ海軍士官が移乗してきた。

 

「艦内では、入港を前にして、『武士の嗜み』とばかりにみんな急いで散髪や髭剃りをしました。長身の佐々木中尉だけは呉からずっと伸ばしてきた髪が整い、見栄えのする長髪姿に一人にんまりしていましたが、私は丸坊主のため、あとでドイツの士官に、『子供の士官が来た』とからかわれて情けない思いをしました。しかし、入浴なしの生活が4ヵ月も続いたんですから、臭いはどうにもなりません。自分たちはわかりませんが、相当な臭気を放っていたでしょうね」

入港用意の作業が終わり、当直以外の全乗組員が紺の第一種軍装に着替えて甲板に整列し、艦はゆっくりと桟橋に向かった。伊三十潜は、長い航海に黒い塗装が剥げ落ち、赤錆びの浮いた、新造艦とは思えないボロボロの姿だった。

4ヵ月もの航海で塗装は剥げ落ち、新造艦とは思えない姿になっていた

「ふと桟橋を見ると、黒山の人だかりになっていて、ドイツ占領下とはいえ、オープンな歓迎に驚きました」

廃船を利用した桟橋に係留すると、駐独武官・横井忠雄大佐を案内役に、ドイツ海軍潜水艦隊司令長官・デーニッツ大将、占領軍司令官・シュルツェ大将が乗艦、全乗組員が見守るなか、遠藤艦長と固い握手を交わした。

伊三十潜艦上で、左より駐独武官・横井忠雄大佐、デーニッツ大将、伊三十潜艦長・遠藤忍中佐、シュルツェ大将

そして、士官一同は桟橋から上陸し、日本の行進曲「軍艦」(軍艦マーチ)を演奏するドイツ海軍軍楽隊を閲兵、潜水艦基地内に設けられた歓迎宴会場に通された。そこには全乗組員が招待され、日独海軍関係者が集まっての歓迎会が盛大に行われた。

潜水艦基地内に設けられた歓迎会場では、全乗組員が招待され、日独海軍関係者が集っての盛大な歓迎会が催された
ドイツ海軍士官との交流。左から3人め・遠藤艦長、その右が竹内少尉

ロリアンは、ブレストと並ぶドイツ海軍の潜水艦・Uボートの基幹根拠地である。しかしここは、英空軍基地から飛行機でわずか1時間の距離にあり、毎日烈しい空襲にさらされている最前線でもあった。

上空には防塞気球を上げ、港口には防潜網を張りめぐらし、港内には巨大なブンカーを多数配置していた。ブンカーはUボートの格納庫と工廠を兼ねたもので、屋根は厚さ7メートルもの鉄筋コンクリートに覆われ、1トン爆弾の直撃にも耐えうる強度と、同時に数隻のUボートを並べて係留できる広さ、試運転可能な水深をもっていた。その完璧な防禦と運用は、日本海軍の関係者を唸らせた。

搭載してきた物資や損傷した偵察機をドイツ側に引き渡し、復路の計画の打ち合わせを終えて、遠藤艦長以下4名の士官はベルリンに招待される。艦長には、ヒトラー総統より勲章が授与された。

残る乗組員は二手に分かれて交替でパリ見物をすることになり、竹内はその第1班を引率して汽車の旅に出た。

乗組員は二手に分かれてパリ見物に出発した

「全ての者にとって生まれて初めての外国の旅で、案内役のコッホ少尉を東奔西走させてしまいました」

パリへ向かう急行列車の車内で、窓にぶら下がっている非常停止の紐をめずらしげに引っ張り、麦畑のなかで急停車させて車掌に怒られたり、全員が宿泊したパリのリッツホテルでは、流し湯で部屋の絨毯を水びたしにしたり、ビデで顔を洗ったりの珍道中だった。

「パリ市街は、ドイツ軍の無血進駐で戦火の跡はまったく見られず、平穏そのものでした。治安もまず大丈夫とのことで、軍服の腰の短剣のほかは非武装のまま、のんびりと市内見物を楽しみました。ドイツ士官の案内で、ビルの地下にある総鏡張りの部屋に通されて、そこに裸の女性が出てきたときはびっくりしましたね……。

パリでは当時、日本の軍艦マーチや愛国行進曲の旋律が流行っていて、行く先々で聞かせてくれました。なかでも、有名なシャンゼリゼ通りのキャバレー『リド』に入ったとき、それまで演奏していた曲を止めて軍艦マーチを演奏してくれたのには驚きました。外交官レートでフランがとても安かったので、いろんな買い物もしました」

竹内少尉。パリ・凱旋門にて。左にうっすらとエッフェル塔が見える
パリ市内は平穏そのもので、のんびりと見物を楽しんだ

パリ見物を堪能した伊三十潜の乗組員たちは、ドイツ潜水艦乗組員の保養所に使われていたシャトーヌフのフランス貴族の城館に2泊し、ドイツ兵と騎馬戦や棒倒しに興じたのち、ロリアンに戻った。竹内は、ドイツ士官に誘われて、海水浴も楽しむことができた。

シャトーヌフでのドイツ側とのランチパーティー
伊三十潜の乗組員たちは、言葉の壁を超えてドイツの水兵と交歓を深めた

ロリアン軍港では、伊三十潜がブンカーに係留され、復航のための準備が着々と進められていた。ドイツのUボートと比べ、格段に大きな伊三十潜の艦尾は、ブンカーから大きくはみ出していた。

「Uボートと比べると、こちらの技術水準ははっきりと劣っていました。特にドイツでは、潜水艦が敵に発見されにくいよう、防音対策も念入りに施されていましたが、向こうの士官に言わせると、日本の潜水艦は太鼓を叩きながら歩いているようなもの、ということで、言われてみると確かにそれだけの差があって、がっかりしました。

艦体の塗料ひとつとっても、日本では刷毛で塗って、乾くのに時間がかかるのに、ドイツのそれはスプレーの吹き付けで乾燥が格段に早く、強度にもすぐれていました」

半月の滞在は夢のように過ぎた。海の色の明るい大西洋に合わせて、ドイツ軍艦色のライトグレーに化粧直しされた伊三十潜は、ドイツ側から譲渡された兵器類を積み込んで、8月22日、ロリアンを出港した。機密保持のため、入港時とちがい、関係者のみの簡単なセレモニーのあと、試験潜航を装って、隠密裏の出港だった。

ドイツ軍艦色のライトグレーに化粧直しされた伊三十潜

復路の航海は、緊張の連続ではあったものの、往路に比べるとはるかに順調だった。心配されたローリングフォーティーズには、往路と同じような強風が吹き荒れていたが、こんどは追い風となるため、かえって速度を上げて楽々と通過することができた。

そして48日間。14000浬(約26000キロ)を一度の補給もなしに航走した伊三十潜は、10月8日未明、ペナンに帰投した。そこで新しい暗号書を受領、軍令部の指示ではそのまま呉に帰投するはずのところ、海軍省兵備局の指示で、途中シンガポールに寄港、ドイツから譲渡されたエニグマ暗号機10基を陸揚げすることになり、10日夜、ペナンを出港した。12日夜はマラッカ海峡で仮泊、翌13日の朝、南水道からシンガポール・ケッペル商港内の泊地に向かう。

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