井手 宇沢先生が『自動車の社会的費用』を出版される少し前、マニュエル・カステルという都市社会学者が「集合的消費」という概念を発表しています。この内容がまさに社会的共通資本なんですよ。オイルショック危機の時代、正しい分配が行われず宇沢先生が怒り狂っているとき、見も知らぬ海外の学者がまったく同じような主張をしていたわけです。
危機の時代になると、「共通のもの」あるいは「集合的なもの」を人間は志向する。革命が起きた時代のマルクスもそうだし、大恐慌時代に登場したケインズやシュンペーターもそうだけど、危機を迎えると「みんなにとって必要なもの」への関心が高まるのです。
関 現在のコロナ危機もそうですが、社会が危機的状況に陥ると、相互扶助なしでは生きていけなくなるからですね。
井手 問題は、支えあう仕組みをどのように制度化するか。ところが、2008年のリーマンショック後、本来であれば「何がみんなにとって必要なのか」を民主主義的に議論すべきときに、「金を配れば喜ぶ」といわんばかりに、札束で顔を引っぱたくような政策が実行されました。麻生太郎政権のもとで実施された定額給付金です。
全員に1万2000円(65歳以上と18歳以下は2万円)が配られましたが、こんなバラマキ政策で人間の命と自由が保障されたと考える人などひとりもいなかったでしょう。かつての宇沢先生たちの主張を思い起こせば、驚くべき議論の質的劣化が起きていますよ。