注意しなければならないのは、「女性は経済力の高い男性をパートナーとして選びたがる」という傾向の存在は、アカデミックな心理学の議論でもしばしば指摘されているということだ*1。この傾向は特定の国に限られない、世界各国で共通したものと見なされている。
また、「女性が上昇婚を望まざるを得ないのは男女間の賃金格差が原因であり、賃金が男女平等である場合には上昇婚志向は消滅する」と反論される場合もあるが、すくなくとも日本においては年収の高い女性であっても自分よりも同等以上の年収の男性と結婚したがる傾向が存在することは、統計でも示されている*2。

弱者男性論者たちの議論の問題点は、「女性」という属性(もしくは集団)に統計的・平均的に備わっている傾向の責任を、個人としての女性たちに負わせようとする、ということにある。「だれと結婚するか」という選択は個人に委ねられるべきことであり、実際に現代の社会では婚姻の自由は基本的人権として保障されている。また、女性が結婚相手を選択するときには相手の年収も考慮するかもしれないが、それと同時に、人格や相性や容姿などの他の要素も考慮しているだろう。
個々人の女性たちの選択が集積した結果として「上昇婚志向」という現象が統計的に存在するとしても、その責任を個々の女性たちに負わせることはできない。「年収が低くて結婚相手もいないことで不幸になっている男性を救うために、女性は年収の低い男性を結婚相手に選ぶべきだ」と要請したり、個々の女性を論難したりすることは、規範的な議論としては筋が通っておらず、そして現実的にも実行不可能な解決策であるのだ。