トランプが開いた「パンドラの箱」
トランプは「消えない」のではないか。そんな想念が、僕の脳裏には、繰り返し立ちのぼってくる。
アメリカ合衆国の前大統領、つまり米国の第45代国家元首だった人物、ドナルド.J.トランプについて、僕は述べている。彼が築き上げた「負の遺産」について、言及をおこなっている。
トランプ本人は、政治の表舞台から遠ざかり続けている。2月28日のフロリダ州オーランドで開催された保守政治活動会議(CPAC)での彼の演説は「ありきたり」であり、3月21日に発表された、自前のプラットフォームにてSNS上に復帰する、といった宣言と合わせて、ほとんど「スルー」されている。少なくとも、広い世間からは。だからもはや彼の「復活」はない、のかもしれない。
だがしかし、それは問題ではない。僕が言っているのは「彼がすでに影響を与えてしまったもの」についてだ。つまりすでにしてトランプは、きわめて大きな「歴史的役割」を果たしてしまったのだ。
トランプがあれほどの影響力を持ってしまったのは、「支持した人々」がいたからだ。彼の奇矯な(そして、実際はほぼ空洞状だった)哲学に感化され、あの言動、あの態度を「愛した」人々がいたからこそ、彼は大統領になれた。
そして、「トランプ主義」に感化された人々の想念と行動が世に蔓延して、英語など1ミリも理解できない日本人にすら(いや、だからこそか)妄想の毒霧を吹き広げていった。そして日本に「Jアノン」まで生まれてしまった。

言うなればトランプは、「悪意のウイルス」の最大媒介者となって、地球中にそれをバラ撒いてしまったわけだ。彼が「開いてしまった」パンドラの箱から飛び出したものの一切合切は、もはやどうあっても、回収不可能なんじゃないか――そんな暗澹たる思いが、僕は日増しに強くなっている。悪夢は醒めないのかもしれない。
しかし僕は、座視してそれを、現在進行形の悪夢を、やり過ごしてしまうことはできない。ゆえに、それに対抗する方法を、ここで模索してみたい。僕の専門領域、ポップ文化を軸にした社会文化論的側面から「心のなかのトランプ」の解体へと挑んでみたいと思う。
吹き荒れるアジア人差別
まず、トランプ主義から生じた、最新の「悪夢」とは、米欧を中心に吹き荒れる「日本人も含む」アジア人差別、憎悪犯罪の急増および過激化だと言える。
これについては、3月30日、いまや国際的スーパースターである韓国のポップ・グループ、BTSが「アジア人差別」に対抗する力強いステートメントを発表したことが記憶に新しい。自らが「差別された」体験も織り込んだ真摯なコメントは、多くの人々の心を打った。またプロテニス協会の動きと歩調を合わせた、大坂なおみ、錦織圭らの迅速な動きも印象的だった。
ともあれ、喫緊の問題であるこの件「アジア人差別の大波」の分析をしてみることから、トランプ・ウイルスの構造分析を始めてみよう。
現今の事件の連続、その原因の一端を、昨年来トランプが無数に投擲した「差別的」言辞に求める見方は多い。彼はいくら批判されようとも、新型コロナについて「中国ウイルス」としつこく呼び続けた。まさにこの言葉こそが「ウイルス」そのものだった。一部の人の心をむしばむ、きわめて悪性の。