ヒラのまま後輩男性に抜かされていく女性たち
ギンズバーグ氏が訴えたかったのは、女性が能力を発揮したり、自分で人生を切り拓こうするときに「障害」となるもの、それは男性による妨害、邪魔や、仕事と家庭の両立を阻む労働環境や評価制度、男女の賃金格差を排除し、平等な環境を整えてほしい、ということだったと思う。
2000年代に入って、日本では一部の先進企業から、企業内保育所をつくったり、育休の充実や育児のための時短勤務制度を整備したりする動きが始まった。それまで何の支援もなく、それこそ自助努力でなんとかしろという時代に比べると、少しずつ進歩してきたとは思う。
だが、そこには「落とし穴」もあった。当時私はAERAでこうした両立支援企業の企画を何度か特集していたのだが、「女性にやさしい企業」というようなタイトルをつけがちだった。今になってみれば、家事育児をするのは女性だけじゃないし、女性にやさしいというタイトルこそが性別役割分担を固定化させるとわかるから、反省するしかないのだが、15年前の私はまずは働き続けるための制度を、と思っていた。
女性たちは育休後に復職して時短勤務を取得し、子育てしながらなんとか働き続けられるようにはなった。だが待っていたのは「マミートラック」という道。長時間労働が当たり前の環境では、早く帰る社員は一人前とは見なされず、重要な仕事からも外され、昇進の機会は回ってこない。男女雇用機会均等法や氷河期世代の女性たちと話すと、ずっと「ヒラ」のままで後輩男性たちに次々とキャリアで抜かされていった、という事例は珍しくはない。

一方、会社の経営層や上司から見たら、両立のための制度はちゃんと整えたよ(足はどけたよ)、だから辞めないで働いてね(辞めずに働いていいよ、というお目こぼし的なところもあった)という気持ちなのだろう。
確かに大企業の中には、ここまで至れり尽くせりの制度があるのかという超ホワイト企業もある。そんな某企業の労働組合から呼ばれて、女性社員を前に講演したことがあるが、こんな制度が整っていても、女性社員たちのキャリアに対する不安や不満は尽きることがなかった。だから経営層や上司からしてみれば、「ここまでやっているのに何の不満があるんだ」という気になるし、彼らのこうした“本音”が「女性の側にも問題がある」的な発言に繋がるのだろう。