日本人が全然知らなかった菅義偉「家の事情」…決して姿を見せない妻と突如浮上した“問題長男”

週刊現代 プロフィール

真理子の住むマンションから南へ進むと、横浜最大の問屋街、そしてかつては「青線地帯」として知られた日ノ出町がある。46年前、菅は政治家としての第一歩をこの下町で踏み出した。

「菅義偉です。よろしくお願いいたします……」

'75年春、俯き加減で神妙に話す菅の姿を、ある横浜市政関係者は鮮明に覚えている。一帯を地盤とする衆議院議員・小此木彦三郎の私設秘書として挨拶にやってきたのだ。

「当時、小此木事務所には『秘書』の肩書で出入りする若者が男女10人近くいて、菅さんは後ろから数えて2番目くらいの末席でした。当時は、地味で暗い奴だな、という印象だったね」

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秋田からの上京物語は、すでに多くのメディアで菅が自ら語っている。板橋の段ボール工場や喫茶店でのアルバイトを2年ほど転々とし、法政大学法学部に入学。

卒業後はいったん一般企業に就職するが、一念発起し議員秘書に志願した。大学時代をともに過ごした、同級生の寺田修一氏が言う。

 

「ある時、ヨシ(当時の菅の愛称)が突然『なあ、小此木彦三郎って知ってる?』と言い出したんです。

もちろんウチは横浜だから知ってるよ、と言ったら『俺、そこの秘書になったよ』って。政治家になりたいなんて、聞いたこともなかったのに」

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