なぜ『花束みたいな恋をした』は“想像以上のロングヒット”を記録したのか、ひとつの答え

また、ここで余談を一つ。

公開後ブームになってから本作を観に行った年配の知人たちから聞いた話だが、彼らは「キラキラ映画だと思って敬遠していた」のだという。

彼らの言う「キラキラ映画」とは恐らく「10代・20代の若者を主人公(&対象)にしたタレント系青春恋愛映画」のことを指すのだろうが、いわば自分たちはターゲットではない、と感じていたようだ(「坂元裕二が脚本を手掛けた」ということが、恐らく届いていない気がする)。

仮にそう感じていた層が一定数いると考えると、「21歳の男女の5年間にわたる恋を描く」本作に対して能動的に観に行った、キャスト・スタッフのファンを抜いた層は、劇中の主人公ふたりと同世代の若者が多かったのだと推察される。

思い返せば、『花束みたいな恋をした』はこのご時世だとなかなか実施が難しい一般試写会を、規模を縮小して開催。大々的な形では行えなかったものの、これらの“見せ込み”が功を奏し、若い世代に届いた向きもあろう。

また、若い世代に刺さりそうな実写の国産映画が、その時期は『さんかく窓の外側は夜』くらいしかなかった点も大きそうだ。デートムービーとして、あるいは自分に近い物語として楽しめる作品を求めた結果、本作を選んだ、という形である。もちろんそこには、「全国350館で上映しているため、近場の劇場に行けた」という要素も後押しとなったことだろう。

 

「語りたい」人々が新しい観客を連れてきた

ただやはり、それだけで「初登場No.1、その後6週連続首位」を出せるかというと、作品自体の熱狂的なフォロワーが生まれない限りは難しいように思う。そしてこの点において、『花束みたいな恋をした』は非常に強力だ。

「終電を逃した21歳の大学生が、始発までの時間を過ごす中で恋に落ちていく」という日常生活に根差した本作の始まりは、多くの観客にとって「あったかもしれないと思える、あるいは経験した」もの、もしくは「学生時代、周りであったっぽい話」であり、導入として実に計算されている。この部分に虚構性が強いと、「こんな恋があったらいいな(ないけど)」になってしまい、作品のファンがより絞られていくからだ。

さらに、就活の苦しさや同棲生活のすれ違いといった生々しい要素が、恋愛ドラマの名手・坂元によって適度にフラットに、それでいてぐさりと刺さる名ゼリフ満載で紡がれてゆく。端的に言えば、観客それぞれの生活と重なる部分が多く、自分事化して観てしまう構造になっているのだ。

それゆえに、観た後の口コミの熱量が上がり、次なる観客を連れてくる流れが加速したというわけだ。実際、一般試写会の時点で絶賛評が大半を占めていたと聞く。

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