なぜ『花束みたいな恋をした』は“想像以上のロングヒット”を記録したのか、ひとつの答え

固有名詞が多く、よりダイレクトに「カルチャー好きな若者」をイメージさせるのも本作の特徴。ただ、制作時に土井監督が坂元と共有したのは「わからせる必要はない」だったという。

1つひとつの固有名詞ががっつりわかるようにはせず、あくまで記号的に用いるということだ。観客を置いてけぼりにすることなく、ただフックは増やす、というようなバランス感覚である。

ただここも、そうは言ってもその裏には制作陣の周到な仕掛けがあったような気がしてならない。

たとえば公開後に「カルチャー好きだった人間が就職してソーシャルゲームしかしなくなった」「文芸誌ではなく自己啓発本ばかりを読むようになってしまった」といったある種シニカルなシーンへの言及がTwitter等でバズっていたり、劇中に登場する固有名詞等をフックにした「深読み・考察」がTwitterやYouTubeで加速したり、通常の恋愛映画とは異なる動きを見せ始めた。

つまり、「共感」に加えて「批評」が出てきたということ。「登場人物について語りたい」勢と、「構造について語りたい」勢の両方が台頭した結果、皆がこの映画の話題を口にするようになり、「じゃあ観に行ってみるか」という新たな観客を呼び込んだのだ。

これは実に珍しい動きといえるが、よくよく考えるとこの火の付き方は坂元×土井監督のドラマ『カルテット』に酷似している。こちらの作品も、ライトに楽しむ勢と深読みする勢が混在し、新たな視聴者を次々と生み出していった。坂元と土井監督のふたりは、映画というフィールドにおいてもう一度“カルテット・インパクト”を起こしたわけだ。

観客が自分の人生と結びつけてしまう“共感性”はきっちりと担保し、考察好きのコア層を刺激する仕掛けも忍ばせた逸品に仕上がった『花束みたいな恋をした』。優しさと狡猾さを併せ持ったこの映画は、まだまだ多くの観客を魅了してゆくことだろう。

 

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