磯部真美子さん(仮名・46歳)は、1年前に家を出て、2ヵ月前に離婚届を提出した。12歳の娘は、元夫と暮らしている。

「心身ともに限界が来てしまって、家を飛び出るようにして別居しました。娘も連れて行きたかったけど、『学校を転校したくない』『おじいちゃんもおばあちゃんもいとこも一緒に住んでいる、この家にいたい』と言われてしまい……」
娘は私立の中高一貫校に幼稚園から通っていて、その環境を変えるわけにはいかないと真美子さん自身も考えていた。近くに住んで、娘の子育てにできるだけ関わることを心に誓い、真美子さんはまず、自分を立て直そうと思った。

「最愛の娘と離れてまで、元夫と別れたかったのは、離婚で親権を決めるとき、同居が有利であると知らなかったからなんです」

「完璧な家庭」とはどういう家庭だろうか。共働きだろうがなんだろうが常に家はピカピカ、子どもは宿題もきちんと忘れない優等生で、家族揃って学校や地域の行事にも積極的に参加する。しかしそれが心身ともに大きな負担を強いていたらどうなのだろう。45歳の時、30歳で出会った夫との離婚を決意した真美子さんは、まさに心折れそうな日々を送っていた。ライターの上條まゆみさんが話を聞いた。
上條まゆみさん連載「子どものいる離婚」今までの記事はこちら
 

仕事関係の飲み会で猛アプローチ

美術系の大学を出て、デザイン会社で働いていた真美子さんが元夫と出会ったのは、30歳のとき。仕事関係の飲み会で知り合い、猛アプローチを受けた。

「デートをするようになって2回目には、もう実家に連れて行かれました」

元夫は真美子さんと同じ歳で、建築会社に勤めているサラリーマン。東京郊外の実家は、駅まわり一帯の土地持ちで、元夫はその家の次男だった。周辺には親戚もおおぜい住んでいた。あれよあれよと結婚まで話が進んだ。
「結婚する前から、義実家の隣の土地に家を建てて住もうと言われ、不安でした。でも、お義父さんもお義母さんも、義実家に二世帯同居しているお義兄さん夫婦もあったかい人たちだったので、ここで頑張ろう、と思いました」

元夫はまめでよく気がつき、頼りがいがあった。真美子さんは若いころに婦人科系を患い、子どもができにくいと言われていたのだが、それを受け入れてくれたこともうれしかった。
「元夫は私を可愛がってくれて、新婚生活はラブラブでしたね。周辺には親戚もたくさん住んでおり、慣れないことも多かったけれど、義両親があれこれ気遣ってくれたので、初めての大家族の生活を私なりに楽しんでいました」

大家族で絵に描いたような幸せな暮らしが始まった(写真の人物は本文とは関係ありません)Photo by iStock 

真美子さんはフリーのデザイナーとして仕事を続けていたが、その収入はほとんど不妊治療にまわしていた。その甲斐あって、5年後に妊娠。一人娘が生まれた。

元夫は結婚と同時にベンチャー企業を立ち上げ、自分も頑張るのと同じくらい、真美子さんにも家事・育児、そして親戚づきあいを高水準でこなすことを求めていた。もともと努力家で一途な真美子さんは、無理をしてでもそれに応えようとした。
「いい妻、いい嫁を本気で目指していたんです」