ママはお家を出るけど、一緒に来ない?

一方、娘は、ふだんは真美子さんに甘えているのに、元夫がいるときは「まるでホステスのように」元夫にぴったりとくっつき、一緒になって真美子さんをばかにするようになっていた。子どもにとっては、それが生存戦略。家庭内の力関係を察して、強い者側につく。
「この状態はまずいな。このままだと私、娘を恨むようになってしまう」。真美子さんは、ここで「離婚」を意識した。

いい妻、いい嫁を必死になって演じてきたが、もう無理だ。娘が小学4年生になったある日、真美子さんは、ついに白旗を上げた。
「ママはお家を出るけど、一緒に来ない?」と、真美子さんが娘に聞いたところ、返ってきたのが冒頭の言葉。「学校を転校したくない」「おじいちゃんもおばあちゃんもいとこもみんなで一緒に住んでいる、この家にいたい」。

「そうだよね、と思いました。そもそも当時の娘にとって、私は嫌なこと、怖いことがあると逃げてしまう弱い母親。ついていく気持ちにはなれなかったと思います」

最愛の娘が一緒に来てくれない寂しさはもちろんだが、祖父母もいる立派な家で暮らしたいと思うのも、中高一貫につながる小学校を転校したくないという気持ちも理解はできた(写真はイメージです)Photo by iStock
 

親権について争う必要があるかは考えたが、専門家に「同居をしていないので不利」と言われたことと、娘の気持ちを思ってやめた。
「親権を手放すこことは、並大抵の気持ちではなかったです。それまでやってきた24時間のママをやめるなんて、想像もできませんでした」

真美子さんだけ家を出て、近所に部屋を借りた。フリーランスでは心許ないと、会社勤めも始めた。そして、三日にあげず娘に会いに家に行き、家事をひと通りこなして、元夫が帰ってくる前に家を出るという生活を始めた。

元夫は最後まで、真美子さんに対する「おまえが変われ」というスタンスを変えなかった。別居を始めてしばらくしたある日、「いまだったら、戻ってくるなら許してやるから、やり直すか?」と聞かれたが、真美子さんは「無理です」と首を振った。元夫は、「じゃ、離婚でいいな」と言った。

夫婦で争う姿を目の当たりにして、娘の真美子さんへの態度が変わっていた。そこで裁判はしないと決め、夫婦二人での話し合いは怖いので、話し合いは第三者機関を利用した。面会交流がコンスタントに行われることだけを目標にした。
離婚届を提出したのが2ヵ月前。娘との面会交流については守ってくれている。