常識がすべて跳ね返される、ロシアのSF映画『キン・ザ・ザ』その深すぎる中身

27年ぶりにアニメ版でリメイク
高木 敦史 プロフィール

常識の維持ために社会がひずむ

キン・ザ・ザの世界の人々は大きく「パッツ人」と「チャトル人」に分けられています。惑星プリュクはチャトル人の星なので、パッツ人はチャトル人に絶対服従です。また、マッチが貴重品で、これを持っていると黄色いズボンや赤いズボンがはけて、お辞儀を二回してもらえたりします。その他、徹底した差別と階級制度があり、人々は皆マッチを求めてあれこれ画策します。

地球人二人はなぜかパッツ人と判定されてぞんざいに扱われます。ですから、地球帰還の方法を探るためにとにかくマッチを死守・活用します。個人的にこの映画でもっとも魅力的だと感じるのは、この地球人二人が極限状況下でも徹底的にポジティブであるところです。

いきなり遠い星に飛ばされてそれからずっと一秒先には死んでもおかしくない状況が続くのに、とにかく前向きで貪欲なのです。どうやって地球に帰るか。そのために何をするか。恐怖や怒りに支配されることなく目先の危険に立ち向かうその姿を見ると、毎度勇気が湧いてきます。今回アニメ版の公開に先立ちDVDを見返しましたが、やっぱり勇気が湧いてきました。

 

パッツ人とチャトル人という大きな分断のある社会で、地球人二人には「なぜマッチが貴重品なのか」も「ズボンの色で差別される意味」も一切語られません。わかるのは、キン・ザ・ザの人にとってそれらの価値や格差がただ「常識」だということのみです。

キン・ザ・ザの社会がどのように形成されていったのかは不明ですが、一般的に考えれば最初は言葉でしょう。人が言葉を用いて主張を組み立て、他者とやりとりすることで共同体が生まれ、やがて社会となります。

その過程では、物事を円滑に進めるための様々な作法が生まれますね。法律であったり、暗黙のマナーであったり。やがて作法は常識として固定化され、そうするとそこにはもはや複雑な言葉など必要とされません。やりとりは合理化・簡略化され、人々の行動は個々の願望よりもいつの間にか存在していた常識に沿うことが優先されます。社会をひずませず維持するために常識が生まれたはずなのに、常識の維持のために社会がひずみ始めます。

キン・ザ・ザもまたひずみきっています。虐げられた人々は、自分が虐げる側に回るべく、下層同士で騙しあいを繰り返しています。頭にあるのはマッチのことのみで、目標は赤ズボンです。最初はきっと「権力者は赤ズボンをはいている」だったのが、いつの間にか「赤ズボンをはいていれば権力者である」という逆転が生まれたのでしょう。結果、どんな手を使ってでも赤ズボンさえ手に入れば偉い、となる。

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