2021.05.18

日本の「大麻政策」、じつは「大いなる矛盾」が隠されていた…!

宮台真司、大麻を語る
宮台 真司, 大麻博物館 プロフィール

宮台 それとは別に、もう一つの日本の特性として、かつてマルセル・モース*6やラフカディオ・ハーン*7が述べたように、近代化の中でも古い社会の在り方が残っていた点が挙げられます。天皇制などはその典型で、聖なるものと俗なるものからなる制度です。地域の祭りでも、無礼講の風習が戦後も残っているところがありました。祭りでは、平時にはない「眩暈(めまい)」を提供して、「法以前」の身心を取り戻す目的がありました。だから祭りでは、歌や踊りだけでなく、既婚者の乱交=無礼講があったんです。

*6 フランスの社会学者、文化人類学者。「原始的な民族」とされる人々の宗教社会学、知識社会学の研究を行った。
*7 日本人名は小泉八雲。ギリシャ生まれの新聞記者・紀行文作家・随筆家・ 小説家・日本研究家・日本民俗学者。

地球のどんな場所でも、何十万年もの間、人は狩猟採集で遊動しました。それが一万年前から順次定住し、農耕に伴う時間的規律と集団作業、そして収穫物の保全・配分・継承のために、初めて「法内」を生きるようになりました。でも、法内を生きるというかつてない異常な生活は、ゲノム的背景もあって、人から力を奪います。

だから、祭りを通して力を取り戻したのです。そこには、定住を拒否したので差別されるようなった非定住民が、かつての力を持つ存在として召還されました。これは日本だけではなく、昔はどんな社会でも見られました。人は「法の奴隷」であり続けるのは無理なんです。現に感情が劣化しています。だから祭りやその機能的代替物が必要不可欠です。

 

人が人らしく生きるためには、祭りの眩暈に加えて性愛の眩暈も重要でした。ところが若い世代は「コストパフォーマンスが悪い」などと称して世界的に性愛から退却しつつあります。統計的にそれが最も進んでいるのが日本です。これは恐るべき「閉ざされ」です。今の若い世代は、祭りや性愛から見放されたがゆえの「閉ざされ」に、気付きません。祭りや性愛による「開かれ」の記憶がないからです。だから理由もわからないまま不全感を抱えます。人間はゲノム的に、言葉と法と損得への「閉ざされ」に耐えられないんです。

昨今は、言葉や法や損得へと閉ざされた人が、入れ替え可能な没人格=ボットとして、システムに操縦された状態です。言葉や法や損得の「外部」を消去した社会を僕は「クソ社会」と呼び、言葉と法と損得への「閉ざされ」から出られない人を「クズ」と呼びます。こうした「クズ」が湧く「クソ社会」をどうするかというとき、慎重さも必要ながら、テクノロジーの一つとしてのドラッグの可能性が見えてきます。

その意味で、大麻解禁を考える際、人が人らしくあるための「解放」の側面がかつてなく注目されざるを得ません。でも、その多幸感は本当の幸せなのか、それは忘却や埋め合わせのツールじゃないのか、誰かに手懐けられているだけじゃないかと、たえず反省する必要があります。人が人間的であるとはどういう事態なのか、社会全体に目を配ってよく議論するべきでしょう。

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