「オレは日本一になりたいんだ」
坂下は毎日の練習を見守るだけでなく。選手全員と面談をした。シーウェイブスにやってきた選手はみんな違った個性を持ち、個別の物語を持っていた。
一度は一般就職しながらラグビーを諦められず、職場をやめ、海外武者修行を経て、流れ着いた選手がいる。他チームで戦力外通告を受けてもラグビーを諦められず、収入が激減するのを覚悟でやってきた選手がいる。民間企業、市役所や学校、さらには介護施設、第3セクターなど小規模の職場で働き、日が落ちてからグラウンドに駆けつける選手もいる。
選手たちも、本音ではトップリーグの強いチームでプレーしたかったかもしれない。だけど、釜石にやってきた、一見エリートではない選手たちには、ひとりひとりに物語があった。ラグビーをプレーすることへの、そしてプレーする機会を与えてくれた釜石というチームへの強い思いがあった。
みんな違って、みんな魅力がある。その発見は、この仲間と一緒に勝ちたいな、という願望へと膨らんでいった。
「グラウンドに来ても、コーチのように直接指導するわけじゃない。見ているだけ。なのに、本当に楽しいんだよ。選手が迷ったり、考え込んだりしながら練習に打ち込んでる姿を見て、一緒に成長しているような感覚がある。強くなれる気がする。この年になって、こんなにワクワクできるのは幸せですよ」
思い出すのは40年以上も前、宮古の高校を卒業して釜石に来た頃のことだ。釜石ラグビー部に集まってきた選手たちは、ごく少数の大卒選手を除けば無名選手が大半だったが、みな自信家だった。都会のチームに負けるもんかという反骨心を持っていた。選手たちを結びつけていたのは、釜石に来たのはラグビーをするため、という一念だった。

人数は多くない。でも勝ちたい。だから互いの足りないところは遠慮なく指摘し合った。グラウンドでの練習でも、練習後は毎日のように繰り返された酒の席でも、本音をぶつけ合い、時にはけんか腰になって口論しながら互いを知った。
坂下が総監督に就き、しばらく経った頃だ。コロナ禍に襲われ、チームの活動が停滞していた。シーズンは始まったけれど、グラウンドの中でも外でも、目標が見えにくい毎日。チームの規律を保つのも難しくなる。気持ちはわからなくもない……だが、ここで黙っていては、自分が総監督に就いた意味はない。
坂下は、ミーティングで選手たちに訴えた。
「オレは日本一になりたいんだ」
今はトップチームではないかもしれない。だけど、地方のチームでも日本一になれること、それを7年も続けられることを、自分は実体験している。不可能じゃないことを知っている。そこに到達したときの喜びを知っている。だから言葉にした。
「オレは日本一になりたいんだ。だから総監督に来たんだよ。なれると思うから来たんだよ」
総監督として臨んだ最初のシーズンは、その目標にははるか届かずに終えてしまった。トップリーグ16チームの下に位置するトップチャレンジリーグで5位。単純にいえば日本の企業・クラブ25チームの中で21位に過ぎない。

「だけど成長はあった。特にフォワード。スクラムは、どこのチームとも互角以上に戦えた。実際には対戦できなかったトップリーグのチームであっても、ウチが対戦したチームとそのチームの力関係、その後の戦いぶりを見ると、スクラムなら負けてはいないと思った。日本一を目指して、勝っていくための基盤を作ることはできたと思う」

無論、日本一なんて簡単なものじゃない。達成には血のにじむような努力、気の遠くなるような鍛錬が必要なことを、坂下は実体験として知っている。
だけど、釜石にワールドカップを持ってきて成功させることも、それと同じくらい、もしかしたらそれよりもっともっと難しいことだったかもしれない。そんな難事業を成功させたことを思えば……。
日本一になることを諦めることなどできない。
どれだけ難しかろうが、誰もが無理だと言ってこようが、その思いを持ち続け、挑戦していく。それこそが、自分たちに自信を思い出させてくれたラグビーワールドカップへの恩返しになる
――坂下はそんな思いを胸に、またグラウンドへ向かう。