あこがれの「エチュード」
「エチュード」は、いわゆる「練習曲」です。
私も子どもの頃にツェルニーやモシュコフスキ、クレメンティといった作曲家たちのエチュードをたくさん弾かされましたが、正直、あまり楽しいとは思いませんでした。
そんな中でショパンのエチュードは別格の存在でした。「作品」としての魅力にあふれていて、自分も早くショパンのエチュードが弾けるようになりたい、という気持ちで練習に励みました。
ちょうどショパンのエチュード集の楽譜に、石膏で作ったショパンの手の写真が載っていたのですが、その手と自分の手を見比べたり、同じ形にしてみたり(笑)、それぐらいショパンに対する憧れが強かったですね。
ショパンの手や指について、同時代人たちの興味深い言葉が残されています。「兵士のような骨だが、纏っている筋肉は女性的」(友人の一人)。「骨を感じさせない手」(別の友人)。「蛇の口のように拡がり、ゴムのように伸びる」(ステファン・ヘラー、ピアニスト)。とても柔軟で自由に動いたのだろうと想像できます。
「ショパンは謙遜して『エチュード』と呼んだが」
ショパンのエチュードは全部で27曲ありますが、そのうちの24曲(作品10と作品25、それぞれ12曲)は初期の作品です。若い頃の作品とはいえ、その完成度の高さは驚異的です。
モシェレスの編纂した『メトードのためのメトード』に他の作曲家の作品と並んで発表された「3つの新練習曲」(1839年)を除いて、ショパンがその後エチュードを手がけていないのは、ひょっとしたら作品10と作品25ですべてをやり遂げてしまったからなのかもしれません。
1829年に友人ヴォイチェホフスキに宛てた手紙の中でショパンは「自分独自のやり方でエチュードを書いた」と述べています。
それがどのエチュードを指すのか確定はされていませんが、当時ショパンが作曲していた『12のエチュード作品10 』を見る限り、完璧な、しかもそれまでになかったような新しいピアニズムを19〜20歳ですでに身につけていたというのは信じられないし、天才というしかないと思います。
ショパンのエチュードに関してゲンリヒ・ネイガウスは次のように述べました。「天才的なピアノの詩曲であり、音楽とピアノを学ぶためのもっとも優れた道。ショパンは謙遜して『エチュード』と呼んだが、その内容は最高に芸術的で詩的なものである」。
エチュードというジャンルでショパンはそれまでになかった新しいピアニズムを確立しました。技術的にだけでなく、芸術的に高いレベルの作品であり、想像力(イマジネーション)がたいへん豊かな音楽作品なのです。